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sayonaraな僕らへ

 前回の投稿の追記のようなもの。


 僕は明日から、東京から沖縄へと飛び立つ。もっと色んな存在と関わるために、なお僕自身を築き上げるために。

 どこまでも普遍で絶対的なものなんて、ありやしない。幻想だ。そして、突き詰めて考えれば、“無”や“沈黙”に行きつくのがたいていだ。僕らは、母親の子宮を蹴り上げる赤ん坊のように、どこまでも"個人的"という枠組の中で、もがき続けるしかないのかもしれない。でも僕は、そのようなもがきを止めたくない。枠を蹴り続けた先にある共鳴が、誰かに伝わることがあると思うから。(共鳴=可能性、なんではないか)
 “無”や“沈黙”にあぐらをかかず、もがき、探り続けたい。僕らの間に生じる共鳴。

 さようならと言う時、いつも、互いの間に裂けない膜が下りている感覚がする。薄くて、でも、どうしても振りほどききれない膜。またいつかどこかで会える、というぬるま湯に僕は浸かりきっている。しばらく会えないのはたしかで、下手したらもう会えないかもしれないのに。喪失感や別れの感覚は、僕のもとにはなかなか訪れない。そして、別れのしばらく後に訪れる寂しさだけは、いつも、頭を熱っぽく、痛々しく突き動かす。

 想像力が徒労に徹する夜には、他人の言葉によりかかるくらいしかできない。言葉にする、ということは、柄も刃であるナイフを手にするようなことだと思う。他人が構築した言葉や音をたよりに、”明日”の感覚を探る。こんな時間があったっていい。回り回って、消化されて、自分の言葉になり、いつかはしっかり向き合える日が来る。

 このプレイリストを聴くのは、後に残した人たちへ、sayonaraを言うため。そして、僕自身と僕らのkorekaraに向かうために。僕が好きだった音楽の一曲一曲のリリックを通して、僕はこれまで歩んできた水脈を確認する。僕は明日から、東京から沖縄へと飛び立つ。もっと色んな存在と関わるために。なおも僕という存在自身を築くために。

 さようなら。

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