不登校 〜大学への進学〜
ちょっと急ですが、今日は現在大学を目指している、ある一人の方に向けて伝えたいので、不登校生のその後の進路について少し書きたいと思います。
不登校だった私は、中退後に大検(高認)を取って大学に進学しましたが、あのまま無理をして全日制に通っていたら、大学には行っていないだろうと思います。
不登校になった原因は複雑なものでしたが、高校の退学を決断したのには、はっきりとした理由があります。それまで何となく思ってきた「高校→大学」という進路について、疑問を持ったからです。
進学校といえば私立というイメージの強い県で私が入ったのは公立の進学校。正直なところ、入学前は甘く見ていたと思います。学校見学での印象も悪くないし、家に近いからと安易な気持ちで選んだ学校でした。
入ってみると、先生からの勉強へのプレッシャーは想像以上で、「進学で○○高に負けるな」「○○大学以上に行ったら上出来」ということを入学早々から日常的に聞かされる環境。目の前の生徒よりも数字ばかり気にする大卒の大人が、本当にちっさく見えました。
しかし、その一方で、大学に進むことを望んできた自分の中に、大学に行きたい明確な理由は見当たらなかったのです。高校も、そして自分自身も何か間違っている気がして、夏休みに入る頃には大学を目指す気持ちはなくなっていました。
当時は何だか言い表せないモヤモヤに包まれていました。高校の先を考えられなくなった状況で、予習復習が必要な生活を続けるというのは私はできなくて、9月には完全に不登校となりました。
退学後、早くに高卒の資格を取ったのは、苗字しかわからない他所のおばさんの勧め(身内の100回の説教より、無関係な人の勧め)。それでも、大学に進む気になった訳ではありません。
バイトもしなくなって昼夜はほぼ逆転。勉強は疎か、本すら読まず。このままで良い訳ないけど、この先どうするのか。まだ何も考えられませんでした。ただ、もうどんな姿を見せても、親が何も言わずにいてくれたのは救いでした。
辞めたことに全く後悔はないものの、放課後というエモい時間を人より早く失ったことだけはちょっと寂しく、いくらか喪失感はあったように思います。所属するものがなくなったことで、社会から抜け落ち、16歳のまま置いてけぼりになったような気持ちでいました。
やっと安心できた場所が、市内にあった大検(高認)予備校。受検前から籍は置いていましたが、大検取得後、月1回、月2回と次第に行くことが増えました。
なんのプレッシャーもない中、引きこもりつつ遊びつつ、ちょっとだけ予備校に行くという、なんでもない1週間の繰り返しで、少し心のバランスも取り戻せたと思います。
そうやって好きに過ごす中で自分のしたいことが徐々に見えてきました。それは、高3になっているはずの秋でしたが、1年遅れてでも大学に行きたいと思いました。
同い年が高校を卒業した3月、やはり大学に受からなかった私は、別人のように猛勉強を始めました。
あなたが大学に行きたいと考えたのも、何か具体的な目標があってのことでしょうか。
・不登校や中退者のための塾を開きたい
・日本の古代史をもっと深く知りたい
・教科書で見た遺跡や寺に行きたい
・知り合いの大学生のように学園祭に関わりたい
・ファッション誌で見る華やかな大学生活(笑)
私がしたかったのは、こんなこと。自分でもパッとしない夢だと思いますが、1つ目の夢が見つかって勉強を進めるうちに、2つ3つと増えながら私の未来はどんどん鮮明になり、絶対に大学!という強い意志を持ちました。それは、これまでに経験したことのない気持ちでした。
学校に押し付けられる進路や、何か焦って無理にこじつけて考えついた夢では私は頑張れなかったと思うので、つつかず急かさずそっとしてもらえる環境は有り難かったです。
受験勉強については、英、国、日本史のたった3教科である上、勉強法も参考にならないのですが、力の入れ方と抜き方は、人によって程度は違っても何か参考になるかもしれないと思ったので、書いておきます。
自分にとっては猛勉強でした。でも、自分にとっての無理はしませんでした。自分に合う方法しかしなかったです。一番力を入れたのは得意な分野を完璧に近づけること。
浪人した4月からは、大学受験の予備校に入りました。
日本史だけは独学で既に順調に進んでいたので、ほとんど授業には出ず自習室でしていました。授業に出た1時間より自分でやる1時間の方がぐんぐん進んで効率が良かったからです。
それから、昼休み。最初は人と食べる日もありましたが、予備校にわざわざ来ている身で、ただ食べるだけの時間というのが無駄に思えてきて(自分のこういうところ良くないとは思う)、お昼どきも自習室でお菓子食べながら勉強していました。一旦スイッチを切ると再スタートに時間がかかる私にとっては良い方法でした。
暗記できる日本史は、どんな問題がきても答えられるよう、詳しすぎる年表にして見やすくまとめました。教科書にない人物画や美術工芸品などの写真も、ネットで探して貼って印象付けました。その年表のようなノート作りに7ヶ月近くかかったと思います。
それから、予備校の赤本を、志望校に関係なく片っ端から解きました。間違った問題は、完璧に理解できるまできっちり調べる。期間をあけて同じ過去問を解くとちゃんと点数が上がっているのでそれも自信になりました。
見た目は派手でしたが予備校ではガリ勉、気が向かない日は潔く街に遊びに行き、旧友とカラオケやご飯。でも21時以降は必ず勉強、遅くても1時に寝て朝は起きるという、体も心もそこそこ健康的でいられるリズムでの生活を10ヶ月続けました。
日本史については、1年前の本番で50点を切っていたのが94点に。それまでは努力できない駄目人間だと思っていたけれど、頑張れた自分。
5校受けて3校合格という結果でしたが、私の5つの夢がうまい具合に叶えられそうな大学を選びました。
裏口入学を疑われるほど語学と一般教養で苦戦した挙げ句、留年もしましたが、夢は概ね叶い、そっからぼちぼち幸せに生きてるので、ほんとそれが何よりだと思います。
今回は大学進学について書いていますが、私自身、大学進学という道が最善だと考えているわけではないんです。
周りには大卒中卒とか経歴関係なく尊敬できる人がいます。強烈なもの持ってたらまじで学歴とか見えないですよね。私は大した特技もないので、圧倒的な才能を発揮している人に憧れるし、面白い人が好きだし、立ち止まることなく、するするーっと高校から地元の専門学校に行ってぴったりな仕事見つけて極めてる友人のこともめちゃくちゃ尊敬しています。
私が関わった不登校や中退の子達も尊敬できる人ばかりです。したいことが見つかって、人より数年遅れて高校に行き、卒業後に資格を取って、夢を叶えた子がいます。中学で長く不登校だった子も、高校ではだんだん楽しく通えるようになって専門学校を卒業し、憧れていた仕事に就きました。
二人とも結構やんちゃしていた上、ちょっとメンタル的にしんどい時期もあったと思います。でも、ふとした時に人一倍の根性が感じられました。バイトもダイエットもストイック。メイクも研究熱心。
無気力だから不登校になるんだとか、逃げの選択だとか言われることが私はあったけれど、実際そんなことはないのだと、私は関わった子達に教えてもらいました。
目標がなくてもずっとコツコツ真面目にできる亀のようなタイプは本当にそれも才能。それでも心が元気じゃないと頑張り続けることは難しい。うさぎタイプは、ずーっと休眠状態でも、目標が見つかった瞬間、飛躍できます。
夢を叶えるために必要なのは、どんな場で学ぶかではなく、本人の思いがどれほど強いか。叶うかどうかはこの一点にかかっていると言っても過言ではないでしょう。
あのまま高校にいたら、私は、きっと目の前の学校生活だけでいっぱいいっぱいの3年間でした。何も見つけられず、自分の乗ったレールの先が崖っぷちだと気付かないまま、卒業を迎えていたかもしれません。
友人、部活など、高校に通うメリットは人により様々ですが、大学進学という点だけで見れば、高校生活って無駄が多いと言えなくもない。全日制高校でなくても大学への進学はじゅうぶん可能です。
あなたは、現在は全日制ではない高校に在籍中とのことなので、既に世界は広がりつつあると思いますが、大学に行けばもっと広がります。高校のシステムをフル活用しながら残りの高校生としての時間を楽しんでくださいね。
不登校のその後、ネット上に晒せない話もあるので、勉強の息抜きがてら、ぜひ直接聞きに来てください。ご連絡お待ちしてます!
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親として、子どもに必ず大学に行ってほしいと願っている方もいらっしゃると思いますが、不登校や中退が大学進学に直接影響するわけではないので、もし不登校になってもとりあえず落ち着いてください…!と言いたいです。
そもそも高校に行く場合、本人が自分にとって通うメリットを感じる高校を選んで受験すると思います。
しかし入学後、思っていたのと違う上、楽しくもない場合。もちろん、そこを乗り越えようとする努力も大切だと思います(私はそれでも辞めたい気持ちが勝った)。
しかし、ダラダラと無理して通ってエネルギーの無駄遣いをするのは気の毒です。しばらく精神面が不調のままだとその分復活に時間もかかってしまいます。
色んな意味で本人が無理をしないと通えず、行きたい気持ちがないのなら、無理に行かせないことが近道だと思います。
辞める・辞めないどちらにしても、気持ちが元気になれなかったり、大学生活や大学の先に目的がなければ、大学でも不登校になり得ると思います。
不登校は「学校に行けば解決」ではありません。
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