短編小説:「ダイヤモンド」
僕は、森崎輝石(もりさきだいや)です。
名前の『だいや』の漢字は、『輝く石』と書きます。僕の両親が考えてくれた名前で、宝石のダイヤモンドという意味です。ダイヤモンドは、宝石の王様です。
しかしながら、名付けの想いとしては、『磨いたり磨かれたりして成長して、輝く活躍の出来る子になって欲しい』という願いなのだそうです。
僕は28歳ですが・・・。
(講習会の開場を見渡す振りをして)
僕よりも年上の方も沢山いらっしゃるようですが・・・。
(参加者から笑いが起こる)
僕も皆さんと同じマミー4年目です。人生経験としては、皆さんには及びませんが、日々、磨かれて、両親が願う輝く活躍が出来るように精進してまいります。どうぞ、宜しくお願い致します。
(会場から拍手が起こる)
自己紹介が終わると、僕は壇上から降りて、自分の席に戻った。
今日は『マミー』の講習会に参加しています。
児童養護施設に替わって『マミーズホーム』という施設の運営が始まって3年が経ちました。僕は、そのマミーズホームで働く『マミー』という職員の資格を取得して、マミーとして働いています。
始まって未だ3年ですが、その間に、当初のルールから変更されたことが幾つかあります。
例えば、マミーと子供たちが外出する日は、その外出先をその地域のマミーズホームの子供達のみの貸し切りにすること。
実は、これは僕も一枚嚙んでいて、一般の人と混じって買い物をした際に、その一般の人から差別的な発言をされたことがあって、子供が傷つけられたことがありました。これは直ぐに区役所に報告しました。どうやら、似たような報告が多くあったようで、ショッピングモールや遊園地などは、マミーズホームの子供達の利用日を決めて、その日は、一般のお客さんが利用できない日になりました。
又、それらの貸し切りが可能になったは、マミーズホームに入居する子供の数が増えたことも、1つの理由です。
その他に、自治体の管轄の関係で、元々は入居する子供が住んでいた居住地域内のマミーズホームに入居するルールになっていましたが、現在では、希望を出せば、それ以外の地域のマミーズホームに入居する事が出来るようになりました。まあ、これも僕も一枚噛んでいるのですが。
現在の政府は、それまでの『やっている振り』の政府とは違い、『実際に改善する事』に力を入れています。なので、僕たち現場が報告や提案をすると、速やかに改善を行ってくれます。その為、子供たちは、よりストレスが少ない環境で生活が出来るようになっています。これからも、改善点が見つかれば、どんどん報告と提案をしていきたいです。
それから、マミーズ制度とは関係の無いところの変化もありました。『適性適合検査』についても、制定当時から変更がありました。
制定当時は、『適性適合検査』の結果を、本人と、行政、勤務先の人事担当者のみが知る事が出来、それ以外の人には知らせないように個人情報として守秘義務で守られてきたものが、それをオープンに開示する方向に替わりました。そんな風に、マミー制度も変化していくのだと思います。
『適性適合検査』と言うのは、10年位前に始まった制度で、社会人も子供も決まった年齢の時に検査を受けます。IQだったり、性格診断だったり、その人の本来の能力を測定して、その個人の最適な生き方を導き出すシステムです。これは、学校の学力テストとは関係がありません。
『適性適合検査』は、4段階のランクに別れていて、上から『甲』『乙』『丙』『丁』のランクに分けられています。『甲』を除く、それぞれのランクには就業できない業務が設定されています。
例えば、マミー資格であれば、『乙』以上のランクの人しか就業出来ません。それというのも、いくら学力テストの点数が良くても『暗記』だけが得意な人というのは、マミー業務には不向きだからです。人と深く関り、臨機応変な対応が必要となる職業だからです。
それに、それまで『適性適合検査』の開示に反対していた人というのは、結局、『丙』ランク以下の人達でした。
彼らは、他人に対して自らの結果を実際の結果よりも高ランクのような話しぶりをするきらいがありました。その反対に、『乙』以上の人達は、自分よりも検査結果の高い人が居ると考える傾向にあったので、誰かと対峙した時に、自らは頭が良くないと謙遜していました。その為に、『丙』のランクの人が、『乙』のランクの人よりも自分の方が検査結果のランクが上であると思い込んで、馬鹿にするという事が発生していましたが、検査結果をオープンにすることによって、そういった現象が少なくなりました。
又、その結果、詐欺被害事件が減りました。不正的な就労の防止になったからです。
今日の講習会は、『マミーズ会館』という、マミー制度関係者のみが使用する建物で行われています。
全国からマミーとして働いている人達が集まり、業務中に実際に発生した事例と改善点を発表して、それらをまとめて、厚生労働省へ提出します。
リモートでの参加も可能なのですが、僕は、『実際に会場の空気を感じたい派』なので、マミーズ会館での参加を希望しました。
講習会の発表の中には、僕が勤務するマミーズホームでは経験が無い事例などの発表もあって、今後の参考になりました。やっぱり、参加して良かったと思います。
講習会の開場の中で、気になる人を見つけました。僕は、講習会が終わると直ぐに、その人の所に駆け寄って、話しかけました。
「あの、お久しぶりです。覚えていますか?」
と声を掛けると、
「ああ!太陽(それいゆ)さんの前の担当の方ね!」
僕は、覚えて貰っていた事が嬉しかった。
「はい。輝石です。森崎輝石です」
と自己紹介して、相手の名前を改めて確認したかった。
「ああ。篠田海(しのだまりん)です。太陽さん、元気にしているわよ」
と、教えてくれた。
太陽さんは、以前、僕が働くマミーズホームに入居していて、今は篠田さんの勤務先のマミーズホームに入居している女の子です。
僕は、この太陽さんが心配だったので、更に質問して、
「当時は高校生だったから、今は大学生ですかね?もしかして就職したとか?」
と言うと、篠田さんは、僕を笑顔で見つめて、
「良かったら、下の喫茶店で、少し話さない?娘と待ち合わせしてるんだけど、まだ時間があって、その間に話しましょうか?」
と提案してくれた。
僕は、
「はい!」
と言って、篠田さんと講習会の会場を出た。
篠田さんは、僕の母と同世代くらいの人で、貫禄のあるお母さんって感じの人だ。実際のところは分からないけど、豪快さの中に周囲に気を配る繊細さがあるような感じがする。
マミーズ会館の1階に喫茶店がある。
マミーの仕事は、子供たちの情報を大切に扱うという重要な部分もあるので、マミーズ会館には、関係者以外の立ち入りが出来ない。まず、入り口からマミー資格証などの提示が必要になるので、マミー会館の中では、安心して子供たちの話をマミー同士がすることが出来る。
篠田さんは、娘さんが来た時に、窓から外が見えるようにと、窓際の席を選んだ。
席に座ると、篠田さんは、さっそく太陽さんの話をしてくれた。
太陽さんは、僕が勤務しているマミーズホームに入居していた当時は高校生だった。だけど、入所して暫くして、篠田さんが勤めるマミーズホームに転居した。僕が勤めるマミーズホームでは、出先などで彼女を知っている人に会う可能性が高くて、それがストレスになっていた。
「太陽さん。今は大学生よ。看護学部に入学したの。入所したての頃は、進路希望もとくに無いって言っていたんだけど。嬉しい事にね、実は、私、前職が看護師なのよ。その話をね、彼女にして聞かせたら、看護師もいいかなって言いだして。それにね。お母さまが精神的に病んでしまった事もあって、看護師資格の他に、いずれは公認心理士の資格も取得したいって言っているのよ。勿論、マミーズホームを退所した後もお母さまとは同居は無理なんだけど、お母さまの何か助けになれないかって、あの子なりに考えているみたい」
僕は、太陽さんが将来の進路を決めて、それに向かって着実に歩いている事が嬉しかった。
「良かったぁ!将来の進路が見えているっていうのは、良かったです。安心しました。教えて頂いて、ありがとうございます」
と伝えると、篠田さんは嬉しそうに笑った。
そして、篠田さんが、
「私はね。看護師の仕事をしていて、大きな病院だったから、入院患者を担当する病棟も経験したし、外来も経験したりして、年を取ってきたら、体力的な限界を感じ始めたのよ。大きな病院ってね、マミーズホームと違って、1日で沢山の人をみるでしょう?それに主に大人ばかりをみるじゃない?気苦労も多いのよ。私ね、娘と息子がいるのね。今は子供達も社会人で家を出ているから、旦那と2人なのね。里親制度も考えたんだけど、私も旦那も、今から2人だけで小さな子供を育てるのは無理だってなって、私はマミー資格を取って、マミーズホームで働き始めたってわけ。輝石さんは?お若いのに何でマミーを選んだの?」
と質問してきた。
篠田さんのマミーになったくだりは、僕がマミーになった理由を訊くための前置きだった。
篠田さんの他人の情報だけを搾取しないやり方に好感が持てた。
僕は、少し言いにくいという気持ちがあった。なので、話をするのに躊躇していると、篠田さんが、
「ああ、ああ。いいの。話さなくてもいいのよ。ただの世間話なんだから」
と言ってくれた。僕は、そう言って貰って、少しホッとした。だけど、申し訳ない気持ちもあった。
篠田さんには言えないのだけど・・・。
僕がマミーになったのは、前の職場で、ハラスメント行為が頻発していたからだ。
上司や同僚から、僕に聞こえるように「アイツは仕事が出来ない」と言われ続けていた。
なので、僕は、仕事で分からない事は、同僚や上司に質問するようにしていた。だけど、質問をすると、「自分で考えろ」と言われた。
又、同じ失敗をしても、他の同僚は笑って許されているのに、僕の時は許されなかった。非難された。
そのうちに、『適性適合検査』の結果を、今までは本人と人事部しか知る事が出来ない仕組みだったのを、例えばTOEICの点数や簿記の資格みたいに、オープンにするシステムに変更になった時に、その職場の僕以外の人達の殆どが『丙』ランクであったことが分かって、その中でも特に僕に攻撃をしていた人は全員が『丙』ランクで、『乙』ランクと『丙』ランクの思考の違いによるものだったんだなと理解が出来て・・・。
なので、『乙』以上のランクでないと就業できないマミーを仕事に選んだ。
それから、前の会社では、複数の女性社員から待ち伏せされたり、ベタベタと体を触られたりして、嫌だったということもあった。
僕が子供の時は、まだ『適性適合学習』が始まっていなかったので、色々なランクの子供が混じって学校生活を送ってた。その為に、小さい時から女の子から性的な対象として過剰反応をされたり、一方的にグイグイこられたりして。又、それを面白くないと思う男子からは、虐めの対象にされた。その為に、性的な関係性では、女性嫌いになってしまった。
だけど、前の会社を辞めて、マミー資格取得のために大学に入り直した時に、大学で学んでいる多くの若い人たちは、『適性適合学習』で学んでいるせいか、あからさまな性的対象の扱いを受けることがなくて、とても快適な学生生活だった。
僕が生まれた頃に『適性適合学習』が既にあったら、僕は女性嫌いにはならなかったかもしれない。
僕が喫茶店の店内をすーっと見回すと、何人かの女性と目が合って、目が合った女性は、直ぐに目を逸らした。
篠田さんが、続けて話してくれた。
「そうそう。太陽さんね。マミーズホームの学習塾でアルバイトを始めたのよ。マミーとしても、アルバイトもマミーズホーム内で出来るなら安心じゃない?彼女自身も楽しそうにやっているから。それでね。前に太陽さんから言われたのよ。『子供達の親は、自分の子供の様子を知りたいんじゃないか?』って。彼女自身が、お父さんを亡くされて、お母さまが精神的な病気になられて彼女を拒絶したって経緯があるじゃない?だから、彼女自身が、お母さまが自分の様子を知りたいって思ってくれているんじゃないかって、希望を持っているのかもしれないけど。今は、マミーは子供の受け入れの面談には関わらないけど、昔は面談に立ち会ったじゃない?いくら子供が同席していないからって、酷い事をいう親っていたじゃない?子供から搾取する事だけを考えている親とか。そんな親に、子供の近況なんて教えられないじゃない!それを太陽さんに言えないわよね。」
と言った。僕も、言った。
「そうなんですよね。昔、面談に立ち会って、そういう酷い親だって分かっている子供を担当する時に、やっぱり強く同情してしまう部分はあったので、今みたいに、マミーが親の面談に関与しないルールは、子供たちに対して公平に対応出来るので、それはいいなと思います。なんか、色々とありますよね?僕なんか、男性だから、女性のマミーよりも出来ない事ってあるんですよ。仕方ないことなんですけどね」
篠田さんが、
「それは女性だって同じよ。腕力が必要なことには限界を感じるわ。男の子特有の体の悩みとかも、知識としては知っているけど、経験が無いから、助言も出来ないし。それは、それぞれよ。お互いが補えばいいの!だけど、今は、子供たちが学校の授業で『医学』をやるじゃない?体の仕組みや、怪我が治る仕組みとか、病気の仕組みとか。あれのおかげで、昔よりは楽になったなと思う事はあるわね。性教育も医学的に教えるから、変にハシャグ子もいないし。それに『適性適合検査』のおかげで、ランクによって、ネットの閲覧規制やアダルトコンテンツの規制も行われて・・・。私が若い頃は、本当にカオスよ。今考えると有り得ないわね」
と言った。
僕は、自分の顔が赤くなっているのが分かった。僕が子供の時もカオスな時代だったから。
気が付くと、窓の外にスーツ姿の若い女の人が立っていて、僕たちの席を覗いて、手を振っていた。それを見て、篠田さんが、
「ウチの娘!娘が来たから、今日はこのへんで。又、講習会で会えたら、お話ししましょうね」
と言った。僕は、
「はい。ぜひ!色々と、ありがとうございました。太陽さんが元気そうで安心しました」
と言って、2人で席を立って、会計を済ませて、娘さんが待つ、入口へ向かった。
篠田さんは、娘さんに、
「早かったじゃない?」
と声を掛けた。
篠田さんの娘さんは、ワクワクした様子で、僕を上目遣いで見ている。それに気が付いた篠田さんが、
「あなた、この人は駄目よぉ!」
と言った。
僕はドキリとした。今まで、こういう時にアウティングをされて、傷ついてきたからだ。
篠田さんは、
「この人は、パートナーがいるんだから」
と言った。
僕には、今は恋人はいないし、そういった話は篠田さんにはしていない。きっと、篠田さんが機転を利かせて嘘をついてくれたんだ。
僕は、篠田さんに微笑んで、
「今日は、ありがとうございました。では、また」
と言って、別れた。
駅に向かって歩きながら、何だか胸があったかい感じがした。
私、篠田海は、輝石さんと別れて、娘と娘が一人暮らしをしているマンションに向かって歩いています。
娘は、すっかり輝石さんの美しさにやられてしまっています。娘は、夢見心地という感じで、フワフワと歩きながら、
「さっきの人。格好良かったなぁ。格好いいっていうかぁ。美しいかな?もう、推したいって感じ?」
と言うので、私は呆れて、
「推しって・・・。いつの言葉よ・・・。ふふふふふ」
と苦笑いをした。
娘は、それでも輝石さんの事を話し続けて、
「なんか、キラキラしてた」
と言うので、私は娘に、
「あなたも、自分らしく、生きていけば、彼のようにキラキラするんじゃない?」
と言った。
そうだ、彼はもう、立派なダイヤモンドなんだ。