忘却いや何処に書いたか忘れた

元々岸田収が言ってたんだけど何故か気づいて人生には中間点“曖昧な隙間”があるて
この心理学者の本は持ってる何処に書いたか知ってる
けど目次で知ってるだけなんだけど

“唯幻論”とゆう世界

生きるのは動く食べる寝る
しぬは体が機能しなくなり脳が壊れる
と解釈してるんだけど
唯幻論は
夢のようなでも諦めのような中間点オーガナイザーみたいな立場
人をコントロールする宗教やマスコミのような
でも僕はスキマじゃないか思う
太陽のような
桃源郷のような
人は永遠に生きれない
だからしぬまでにしたいことをする
でも環境や物理的に諦める
委ねるとゆうと違うけど永遠の中に溶け込む気持ちよさでごまかされる
例えば“愛”が近い概念だと思うけど違う
でも曖昧さの陽を象徴し唯幻論はなだめるとゆうか声は聞こえないけど到底かなわない太陽のような温かさで溶けてく昇華じゃない
諦めるしかないか 太陽の永遠性象徴性により断念する概念がある気がする
僕は中間司
中間を司る
と書くから人生の中で答えを出そうとしている てゆーか前に書いたのは覚えてるツイッターからモバゲーに書き写しその後がわからない  
普通なら長い文章だし自分でも気に入ってるはずで調子乗って載せた気がするが
僕は神や仏より
何もかもが唯幻論でいや僕の人生を区切るための理屈言い回しがほしい
言い訳がしたいだけかもしれない
がこの概念を追求していきたい

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