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法・制度についてー澤田瞳子『日輪の賦』を読んで

2025年新年の初読書が、澤田瞳子さんの著書。祖母の家に顔を見せに行ったとき、彼女の文庫本があったのを見つけ、久々に読んでみようと思ったのだ。私はずっと奈良時代に個人的な興味と言うか、ロマンをなぜか持っているのもあって、澤田さんの奈良時代を舞台にした小説は何冊か読んでいた。
一部ストップしているのもあるが、今回の本は数日で一気に読んでしまった。
当時の女王・讃良(持統天皇)のもとで、当時の列強であった唐・新羅に対抗すべく、「倭」を法治国家にしようと律令制定をめぐるストーリーである。主人公は、肉親の死の真相をつきつめようと京に上京した青年だが、個性あふれるキャラクターとともに、やがて律令制定のために奔走する。

本のテーマは「法」である。もちろん、今の日本国憲法がある時代からみると律令は庶民の主権を認めておらず、厳然と身分の差があった。ただ、制定の背景が当時、ルールがないのをいいことに地方の豪族が好き勝手し、地域によっては庶民が無能な領主によって苦しい生活を強いられていたというのがあったのだろう。また、讃良たち中央も困っていた。そうした不平等を是正し、どこに住んでいようとも、不当な扱いを受けないために、律令が必要なのだと。
そのあと、大王中心から官僚中心の政治が行われていくわけだが、もちろん官僚中心になっても賄賂が横行し、庶民に恵みが降りてこないということも後々起こる(令和の今にも通じそうな話だが)のだが、然るべき手続きを踏むということは、独裁を防止するために必要なことだと思う。

また、一律に法を定めることでそれぞれの個性がなくなってしまうのでは?と思われるかもしれないが私はむしろ逆だと思っている。たしかに、作中でも大活躍した讃良の女性の側近(おそらくフィクションだろう)は、女性ながら朝廷勤めという特徴のため、本来の律令だと存在しなかっただろう。ただ、かなりの負担(時には生命の危機にさらされたり)が個人に偏っているのはやはり歪である。それぞれの役割を明確に定め、そのもとに適材適所な人たちが配置できてからこそ、健全に国なり、組織なりが運営できると思う。あるべき手続きについて、関係する人たちに不利益がないようにする(いわゆる三方よし)というのが理想的だろう。
時には柔軟性に欠けるわずらわしさも感じることがあるものの、あるべき姿を安定して再現することも、変わりゆく時代の中で光の道筋のように思われる。卒業してからずっと、人事として会社制度周りに携わっている身からして、「だれが」という大いに不安定な恣意性を取り除くというものは、公平に近づくのではないかと感じている。

SNSだと〇〇人だと犯罪率が高いだの、出自などをあげつらって誹謗中傷する人がいる。でも、法や制度の前では関係ない。誰が何をしたか、その行為のみである。如何に自分ではどうしようもないことを非難することが的外れか、『日輪の賦』で改めて教えてくれた気がする。

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