マイスターおすすめの温泉 竹瓦温泉
別府市営温泉シリーズ 竹瓦温泉の入湯記
シニア・マイスター 甲斐心也
江戸時代の別府は幕府の天領で、そこかしこの海岸で自然湧出の湯が湧き出す鄙びた漁村で、砂浜でイリコを干す様が見られました。海岸近くでは生姜が盛んに栽培されていたという事です。
別府が大温泉地となるきっかけは、明治4年に別府港が開港したことです。関西と結ぶ大阪開商社汽船の「益丸」が明治6(1873)年に就航、明治18(1885)年には宇和島航路が開通しました。そして、明治45(1912)年に大阪商船の紅丸1000tが隔日運行を始め、一大温泉保養地となって行ったのです。
こうした時代を背景に竹瓦温泉は、明治12(1879)年に創設されました。当時は砂浜に半割の竹で屋根を葺いた小屋掛けだったらしく、「竹ん瓦ん湯」と呼ばれていました。
入湯客の増加に伴い明治35(1901)年、大正2(1922)年に建て替えられ、今の建物は昭和13(1938)年の建築で、国の登録有形文化財に指定されています。
ここは別府温泉のシンボルと呼ばれるだけに、敷地内に3本の自家源泉があります。男湯は「ナトリウム・カルシウム・マグネシウム−塩化物・炭酸水素塩泉」、女湯は「ナトリウム−炭酸水素塩泉」、砂湯は「ナトリウム・カルシウム・マグネシウム−炭酸水素塩泉・塩化物泉」で、それぞれ泉質が異なるのです。
朝夕の時間帯以外は観光で来られた方の入浴者が多いのですが、脱衣所のゴミ箱に受付で売られているタオルが使い捨てられているのを見ると、ちょっと悲しくなりました。(H31.3.9の入湯記より)
竹瓦温泉の砂湯に入るのは初めての事、受付をすると45分待ちとの事。建物の前の桃の花が咲き始めていました。
時間が来て呼び出され、砂湯の暖簾をくぐります。先には上がり湯の浴槽と一体となった脱衣所です。床がタイル張りで冷たく感じましたが、ここで浴衣に着替えて、もう一つのドアを開けると2漕の砂場が広がっていました。左がこれから砂をかけられる砂場で、右は湯を張って砂を温めていました。
一度に入れるのは8人ぐらいでしょうか、既に砂が掘られていて木の枕が置かれていました。仰向けに寝て待っていると、砂掛けのお姉さんが手際よく砂を掛けてくれます。少々重さを感じるほどにたっぷりと砂が掛けられます。最後に肩と首の下にもたっぷりと砂を盛り、砂掛けは完了です。
亀川の海浜砂湯の砂掛けさんは専用の作務衣を着ていますが、こちらのお姉さんはジャージ姿で趣に欠けると思いました。
これから15分、砂の重みを全身で感じながら、体がぽかぽかと温まって来るのが解ります。5分も過ぎると額から汗が噴き出してきます。
時間になると砂掛けさんが声をかけてくれるので、腕の先を砂から出し胸の砂を払い、それから足を砂から解放します。通路に出て浴衣の砂を落とし、上がり湯に向かいます。
あがり湯ではシャワーで浴衣の砂を洗い流して浴衣を脱ぎ、身体の砂を落とした後、浴槽に浸かってリラックスします。
ここでも海浜砂湯でも使われているのは「別府の砂」の様です。別府扇状地には鶴見岳からの角閃石安山岩が降り積もっているので、それが砕けてできた海岸の砂は「白砂」ではなく「黒砂」なのです。(R2.2.21の入湯記より)
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