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実験的に試行錯誤するという計画性

衝動は計画性なくして実践することはできません。しかし、積み上げ的で完全に一貫した計画性というよりも、衝動の方向性を最大限優先するがゆえに、訂正や変更に最大限開かれた計画性です。

谷川嘉浩. 人生のレールを外れる衝動のみつけかた (ちくまプリマー新書) (p.134). 筑摩書房. Kindle 版.

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前にもご紹介した本なのですが、昨日いくつかの記事を読んでいて、この本の後半に書いてあったことを思い出しました。

まずは、中村陽炎さんの記事。退職を控えたタイミングでnoteを始められて、いろいろと試行錯誤をされています。

めちゃくちゃ気持ちがわかります!

noteとかブログをやってみようかなと思ってはじめて見たら、真っ白の状態のフリースペース。

何を書いてもいい、え、でも、何書いたらいいの?

「まあ、とりあえず、書いてみるか」そんな感じで、始める方って多いんじゃないかと思います。

御多分にもれず、自分もそんな感じでした。

そんなとき、自分の書くスタイルをどうしようかって、考えがちです。なんかスタイルみたいなのが決まったら、習慣化しやすくなって続けやすくなりそうな気がします。実際スタイルが決まった方が書きやすいと思います。

でも、普通、そんな簡単にスタイルなんて確立できないじゃないですか。そうすると、あれこれ試行錯誤をするんじゃないかと思います。それで、だんだんと自分に合ったスタイルを見つけていく。あーこれは反応がいい、悪い。ただ、反応はいいけど、このスタイルで書き続けるのは自分がきついっていうのもある、もっとこうしたら自分的には書きやすいかもしれない。

そんな感じで、いい感じでまあまあ反応があって、かつ、自分的にもまあまあ書きやすいそんなポイントを見つけていくのかなあと思います。

そういう状態になると、よくわかんないけど続けられるようになってくるような気がします。自分が書いていて心地よいポイント。

自分は、とくにスタイルを確立したわけではありませんが、とりあえず、毎回の終わらせ方だけは決めちゃった。これで一つ楽になりました。
あとは内容。未だに一貫しているのか、していないのかよくわかりません。でも、記事の数が重なってくるとなんとなく自分の文章と他の人の文章ってこういうところが違うのかな、みたいなのが見えてくるような気がします。それが何?って言われると困るのですが(笑)


で、冒頭の書籍。
「人生のレールを外れる衝動のみつけかた」は「衝動」についての本です。

この本では、「衝動」について、「解きほぐされた偏愛」としています。なんかよくわかんないけど熱中しちゃうこと、他の人からはなんでそんなにやってるの?って疑問視されるけど、やたら頑張っちゃうこと、でも自分からしたらそんなに頑張っている感覚はない、そんな感じのつかみどころのない代物ではないかと思います。

例えば、「今日の注目記事」を見ていると「解きほぐされた偏愛」に邂逅することが多いような気がします。

この本のタイトルは、「人生のレール」を外れるわけですから、ちょっと安定感を欠くリスキーな感じがします。「衝動」に流されまくったら、まさに人生のレールを外れてしまってリスキーです。

しかし、意外というか、後半では、「衝動」をベースにしたキャリアのことが書いてあります。そこでは、「衝動」には「計画性」が必要ってあります。
そうすると、リスキーなようで、実はリスキーともいいきれないような気がしてくる。

そこでは、「実験的に試行錯誤する計画性」という言葉が出てきます。

この「実験的に試行錯誤」と「計画性」って、一見、相容れなさそうですが、いったいどういうことなんでしょうか。


この点、高草木陽介さんの昨日のnoteがとても参考になりました。

計画的偶発性という言葉が出てきます。計画的偶発性とは、個人のキャリアは予想しないような外的要因から形成されることが多いよ、という考え方とのことだそうです。

ドクターの世界でも、キャリアが予測不能なことがあるんですね。とても興味深かったのでぜひ読んでみてください。

これはどういうことか。予測不能なことがある程度織り込み済み、つまり、手元の計画や戦略が変更・訂正されることは最初から想定済み、むしろ、「衝動」の方向性を最大限優先するがゆえに、訂正や変更に最大限開かれた計画性を持つ、そんな感じでしょうか。

いいかえると、自分の「衝動」がどこに行くかはやってみないとわからない、でも、その「衝動」の方向性は最大限に生かしたい、「衝動」が変わってしまうことすら許容したい、それを達成するために、実験的な試行錯誤を続けていく、そういうのが達成できるような計画性を持っていこうって感じでしょうか。

うーん、まだ難しいな。

もっと、かみ砕いちゃうと、自分でも自覚できていない自分のベストな状態に向かっていくために試行錯誤していくという感じでしょうかね。そうするとこの状態に至る道筋、つまり、過程自体を楽しめるといいなあと思えてきます。

ちなみに、これは、ちょっと昔に流行った(?)「自分探し」とは少し違うような気がします。すなわち、「自分探し」は探しているので、「まだやってない」んですよね。「実験的に試行錯誤」はもうやっちゃってる、ここが違うのではないでしょうか。

もう一つ、FIREサラリーマンみかん🍊さんの昨日のnoteであった、「ゆるく生きるのも戦略が必要」というのもちょっと似ているなあと思ったりしました。

また、引用をしちゃいました(笑)ちなみに上記の高草木さんのnote記事と同時でした。個人的に17:30は貴重な学びの時間です(笑)

「ゆるく生きる」ってどういうことか?わかるようでわからない。人によっても違うような気がする。

「ゆるく生きる」が、自分でも自覚できていない自分のベストな状態だとしたら、そこに向かって、進んでいくわけだけれども、そこに「戦略」が必要だとおっしゃるわけです。

①まず「ゆるく生きる」とは何かを画定し
②土台となる知識を身につけ
③社会を俯瞰的に見て次の一手を模索し行動に落とし込む

「ゆるく生きる」って、自分の欲望の赴くままに好きなようにやるのとは違うわけですね。「戦略」が必要というのは、最初から決定された選択を取り続けるというよりは、次の一手を模索し、行動に落とし込む幅を持てるということ。今書いている記事の文脈でいえば、この状態に持っていけるだけの幅と許容性を持てるという意味での「計画性」のような気がします。

ということで、好きなことを好きなようにやっているように見せつつ、実はそうできるような計画性を意識してみると、初めから決まりきったレールを歩んでいくのとは違う、「衝動」を踏まえて展開できるのかもしれません。


というわけで、最後にnoteを書くことについて振り返ってみると、noteを投稿するなんて、毎回毎回がほぼ実験です。書いたあと、どんな結果になるかは予測不能。そして、反応とは別に、公開してみて自分的に気持ちが良くなるかどうかも正直やってみないとわかんない。だったらもう訂正や変更は織り込み済みで、実験的に試行錯誤する計画性をもって、いろいろやってみたらいいんじゃないかなって思ったりしました。
別に見ず知らずのおっさんが書く文章に、誰もそう文句は言わんし(笑)、やっていきながら自分のまだ自覚できていない自分のベストが見つかったらいいんじゃないかな、そんな感じです。

中村陽炎さん、高草木陽介さん、FIREサラリーマンみかん🍊さん、引用させていただきありがとうございました!


そんなわけで、このnoteを公開することも、実は、実験的な試行錯誤という壮大な計画性があるのかも、みたいなことを言ってみて(笑)、「今日一日を最高の一日に」





ちなみに、人生のレールを外れる衝動の見つけかたについての前回のnoteは以下(こっちはだいぶふざけ倒してますw)




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