もしわたしが死ぬのなら
いつか時がやってきて、最期がくるなら、カラッと晴れた五月がよい。春は新しい生活が始まり忙しいし、夏は暑くて喪服はきつい。そして、秋はさみしさが増す季節。冬は足元も悪いだろうし、お悔やみに来てくれる方に気の毒…
だから見送られるのは、よく晴れた五月がいい。清志郎も五月の空に飛び立った。五月の空の青は、生きてるみたいに澄んでいるし、新しい旅立ちにぴったりだ。
三月に入り啓蟄を過ぎたのに、まだまだ寒い。雪がちらついたり、冷たい雨が降るこの頃。今年は春が本当に待ち遠しい。春遠からじと思うものの、寒い寒いが口癖だ。今年の春は特別なものになるだろう。いろんなものが壊れた冬だったから。
もしわたしが死ぬのなら、カラッと晴れた日になりますように。残された人たちが、カラッと晴れた青に生きる力をもらいますように。そして、この毎日の暮らしが、その青に続いていますようにと願うのです。
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