僕の壮絶転職記②(就活)
就活
大学3年の後半から、周りの雰囲気が慌ただしく変わり始める。
「就職活動」
それは「新卒」というブランドが輝く一生に一回の機会で、どの企業も優秀な新卒を求めて各地で「説明会」を開き、学生たちは「企業研究」や「OB訪問」を重ね、企業は学生を、学生は企業を見極めながら、互いに理想の相手を探す求愛行事だ。
今でこそ、その重要さを身に染みて理解しているが、僕はその流れに乗り遅れることとなる。
インターネット
当時はインターネットやPCが一般普及をし始め、就活もネット経由で行うのが当たり前になり始めた時期でもあった。
僕は日々アルバイトに明け暮れてはいたが、バイト代はひたすら友人らとの交際費に消えて行き、まだかなり高価だったPCを買うだけの余裕もその必要性も感じられずにいたので、就活は学校と「インターネットカフェ」で行っていた。
ちなみに当時はまだフロッピーディスクがメジャーな記録媒体だった時代だ。それからわずか15~6年前たらずでここまでテクノロジーが進歩し、僕はいま手に入れたばかりのiphone11 pro でこの記事を書いている。とてつもない進化スピードだ。
学校でひと通りめぼしい企業をブックマークして、ネットカフェでエントリー、その後バイトに向かうというようなサイクルだった気がする。当然スマホもないから、翌日またどこかのPCで企業からの返信を確認し、また同じようにエントリーしていく。
明らかに失敗だ。
効率が悪いし、費やせる時間にも限りがある。周りはみんな自宅のPCから常にそれを繰り返しているというのに。
だが僕は、そんな状況にやや非効率さを感じながらも、特段焦ることもなくそれを続けていた。
遅れてきた厨二病
当時は憧れの職業や企業、目標とする人生も特になかった。
大学時代の僕はなんとなく破滅的で、別にいつ死んでもいいやと思っていたから、無茶なことばかりをしていた。
貧乏や家庭環境の乱れもあり、大学に入るまでは余裕がなかったのが、大学に入り自由と時間が増え、より周りとの格差を認識する。その大学は附属高校もあってそこから進学してくる生徒も多く、お金持ちもたくさんいた。
僕は奨学金をもらって大学に通っていたのだが、友人や社会との付き合いを通して、次第に自分の中にあった何かが爆発し始める。たぶん無理をしていたのだろう。周りについていくのが大変だった。そして、いつしか人生を悲観するようになり、それを覆い隠すかのように非行に走る。
遅れてやってきた反抗期と厨二病だったんだと思う。恥ずかしい限りだが。
3年をかけてなんとかそれが落ち着きだす頃には、周りはとっくに社会との融合の準備を始めていて、僕はまたしてもワンテンポ遅れてしまうことになる。
なんとなくマスコミ系
特にやりたいことも、「働く」ということの意味も理解できず、なんとなくバイトの延長で就職を捉えていた。
だから周りがどんどん選考を進める中にあっても、特にやりたいことも見つからないままでいた。揃いのスーツを着て、興味もさほどない企業に対してマニュアルに従った模範解答を繰り出すというテンプレに馴染めなかったというのもある。かといって目標もなし。本当にどうしようもない。
そんな活動がうまくいくはずもないわけだが、映画やゲーム・音楽が好きでメディアの仕事に興味があったから、なんとなく「マスコミ系」でカテゴリをソートし、なんとなくエントリーをして、たまに面接に進んでは、案の定お祈りをいただく。40社以上エントリーして、最終的に内定を貰ったのは2社だった。
マスコミ系というカテゴリにあった1社と、もう1社は海外のライセンス商品を日本で拡販するような会社だったと思う。
当然というか、なんとなくというか、希望カテゴリに合致していた「マスコミ系」の方を選択し、就職を決めた。
(続く)