不動の人気! 日本の「桜🌸」
春らしいあたたかな陽気が続き、季節はめぐりすっかりお花見の季節に。
春は本当に美しい季節ですね…😊
桜の満開の頃は新年度がはじまる頃でもあります。
心新たに清々しくお参りをいただければと、4月中旬までを「さくら詣」の期間と定めて、特別な御朱印や、桜色のお神札などを用意して、皆さまのご参拝をお待ちしております。
「さくら詣」は近隣のお社でも行いますので、この機会に是非併せてご参拝ください🌸
◆「花」の座を不動にした「桜」
現在では「花見」というと、桜を見に行く行事を指すことがほとんどですが、奈良時代頃の花見というと「梅の花見」が主流でした。
日本より進んだ中国文化と一緒に到来した梅は、都で珍重されていたのです。
783年ごろに編纂された『万葉集』では、梅を詠った歌が桜の歌の2倍以上ありました。
この、珍重されていた「外来の梅」と日本に自生する「国産の桜」の立場が逆転するのは平安時代になってからのこと。
紀貫之が選んだ『古今和歌集』では、梅の歌18首に対し桜の歌は3倍以上の70首と、桜が「花」の座を奪います…!
現在、もっともポピュラーな桜といえば「ソメイヨシノ」ですね。
気象庁が「桜の開花」や「桜前線」を発表する時は、基本的にはソメイヨシノの開花のことを指します。
◆桜の圧倒的な「花」としての地位
かつて天皇の御所であった紫宸殿正面には、伝統的に「左近の桜」と「右近の橘」が植えられ、現在も雛人形などでもセットで取り扱われています。
実はこの桜、元々左側に埋められていた「梅の木」が平安時代の承和年間に梅から桜に植え替えられたもの。
809年から823年まで在位した嵯峨天皇の御代、嵯峨天皇の中国好みは有名で、中国から渡来した梅が都では尊重されました。
それが嵯峨天皇の皇子である仁明天皇の御代になり国風文化が見直される中で、日本と日本人の精神性を象徴する「桜」へと変えられたと考えられています。
そしてそれ以降、現在まで「左近の桜」は他の花に替えられることはなく何代も植え替え続けられ、「花=桜」という圧倒的な「花」としての地位を守り続けたというわけです🌸
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