「建国記念日」ではなく「建国記念“の”日」なわけ
2月11日は「国民の祝日に関する法律」で定められた国民の祝日のひとつ「建国記念の日」。
「建国をしのび、国を愛する心を養う日」として1966(昭和41)年に定められました。
この日は、明治時代にあった祝祭日「紀元節」が元になっています。
◆初代の天皇、ご存じですか?
「紀元節」とは明治時代、日本書紀で初代天皇とされる神武天皇が即位された日にちなんで定められた祝祭日です。
神武天皇は日本国を建国した“初代”の天皇であり、天照大御神の五世孫で、現代につながる“祭祀の原型”を形作られた天皇でもあります。
言うならば、日本の伝統や文化すべてに通じる“精神性の基”を形作り、内外に示された「はじまりの天皇」。
『古事記』や『日本書紀』に記され伝えられた皇室の創始に纏わる様々な伝承は、日本の国体として連綿と受け継がれ、その美風は時代を超えて研ぎ澄まされてきました。
今も毎年神武天皇の崩御日である4月3日には、「神武天皇祭」として宮中の皇霊殿と神武天皇陵にて祭儀が執り行われます。
その日の夕方6時から、深夜12時すぎまで6時間にも及ぶ大々的な神楽の奉納式「皇霊殿御神楽」が納められ、極めて丁重な様式で祭儀が執行されます。
◆「建国記念日」ではなく「建国記念“の”日」な理由
そんな大事な神武天皇の即位、すなわち日本国の建国を国民全員で祝った「紀元節」ですが、終戦後の1948(昭和23)年、GHQの意向により祝祭日ではなくなりました。
この衝撃的な改変の後、すぐに国民の間で「紀元節を復活させよう」という動きが高まりました。
祖先から受け継いだ大事な心を守りたいと、9回(!?)もの議案提出・廃案を経て、念願が叶ってようやく1966(昭和41)年に国民の祝日に追加されました。
ところがその際に追加されたのは、待ち望まれた「紀元節」の再興ではなく、「建国記念“の”日」という名前の祝日でした。
無念の改正となりましたが、「建国記念日」ではなく「建国記念“の”日」となっているのは、“「建国された」事実そのもの”。
つまり、「初代 神武天皇の即位より連綿と続く126代の皇統と、日本国の建国をお祝いする日である」という考えに基づいているからなのです。
◆「天皇誕生日」と四大節
2月には令和の御代からもうひとつ祝日が増えました。
2月23日は今上陛下の生誕を祝う「天皇誕生日」です。
この「天皇誕生日」には、神宮をはじめ各地の神社で「天長祭」が執り行われ、陛下の御誕生日をお祝いして、御長寿並びに国民の平安をお祈りします。
私たちが平成時代、長く「天皇誕生日」として親しんだ12月23日は、上皇陛下のお誕生日ということで令和の御代の幕開けとともに変更となりました。
戦前、在位中の天皇の誕生日は「天長節」と呼ばれ、国民と天皇が共にある象徴の儀式「四大節」の一つとして、国民を挙げて盛大に奉祝の催しが行われてきました。
先程あがった「紀元節」も、そのひとつ。
1月1日の元日に宮中で行われる「四方拝」、11月3日・現在の文化の日である「明治節」と共に、「四大節」として盛大に奉祝されていました。
当時の日本人に「四大節」がどれだけ大切に思われていたかは、戦後に国が国民に行ったアンケート結果からも伺えます。
「残してほしい祝日」のアンケート結果のベスト3を四大節が独占(1位・四方拝 2位・天長節 3位・紀元節)しているのです。
日本人にとって大切なことを思い出させてくれる四大節。
国の“はじまり”に通じるこれらの祝祭日は、長い歴史をかけて守り育んできたものの原初を示し、国家の基となる精神性や日本文化の世界観にも通じる大切なもの。
「建国記念の日」や「天皇誕生日」には、こういった「日本という国が大切にしてきたもの」に思いを馳せる時間を持ちたいものです…🍵