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第17話 銭形吠える

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少しバイアスがあるかもしれませんが、ベンチャー企業と、関わりを持とうと接近してくださる方々の中で、保険業関係の方々は、目の前の損得を一旦置いて、まずはギブをしようとしてくれる方々が多かったように思います。

「社長の下の名前と、私の名前とは、同じ漢字が使われているのを発見し、大変感動しました。ぜひ一度ご挨拶させていただきたい。」

と、訳のわからないコンタクト理由が盛り込まれている、手書きの手紙を送ってくれた、熱血生命保険営業マン、陣野さん(現アクサ生命保険エグゼクティブ)がその一人。社労士さんを紹介してくださったり、とても助けていただきました。

もう一人が、共済という保険法の規制を受けない(当時)仕組みを使って、中小企業経営者に、新たな資金獲得方法を提供しますよ。という、ややハイブロウな商売を展開されていた、三好さん(当時30代後半)でした。

お二人とも、僕がプロトレードを創業してすぐの頃に初めてお会いしてからの付き合いになります。


少しだけ時期はさかのぼります。資金調達に悩んでいた、7月か8月頃のある日、このシルバー世代風オールバック ヘアスタイルの三好さんから久しぶりに連絡あり、うどんを食べに行かないかとお誘いをいただきます。(香川県出身者の、うどんへのロイヤルティは人知の及ぶ範囲を超えますね)

僕のぼやきに対して、三好さんは突然、こんな提案をされました。

僕の大学時代の悪友が、JAICという老舗VCで、投資部長をやっていてね。
ベンチャー界の酸いも甘いも、よくわかっている男だから。
相談だけでもしてみたらどうかな。
ちょっとアクの強いヤツなんだけどさ。


東急文化村から、山手通りに抜けてゆく通り沿いに、ひっそりと営業する居酒屋で、三好さんがその「悪友」を、紹介してくれる会食が開かれました。

初めてお会いした、JAIC(日本アジア投信。JAFCOと並ぶ、日本の老舗VC)の川野さんは、噂に違わぬ、アクの強さでした。一言で形容すると、「帽子を被らない銭形警部」。30歳後半で早くも、百戦錬磨感が半端ありません。

川野さんは、一回り年下の僕のことを呼ぶ時に、おそらく敢えてですが、「社長」(アクセントは前で)と呼び、べらんめえ口調でお話されるのでした。

のっけから、こんな調子です。

社長ね、正直、私は、渋谷でネットベンチャーとかやっている輩は、好きになれんのですわ。

でも、悪友の三好が、どうしても会えというので、楽しみに来ました。

渋谷でブイブイ言わせてる若手社長が、どんなもんか、今日はとくと見せてもらいましょうか。 はい乾杯。

私は、見世物ではないんですけど。


お酒がすすみ、少し銭形警部も興が乗ってきたのでしょうか。80年代後半の日本のベンチャー界を襲った、第二次ベンチャーブーム(通称PCバブル)の終焉の時は、どんな会社が生き延び、どんな経営者が悲惨な末路を辿ったか。貴重でエグいお話をたくさん聞かせていただきました。

社長ねぇ、銀座で経費使いまくっても、私は一向にかまわんと思うんですよ。ひと昔前のベンチャー経営者の遊びは、そりゃーすごかった。

男の甲斐性ってもんでしょう。でも、それで事業に一心不乱に打ち込んでもらえるならねぇ、私は全然いいと思うんですよ。

いや、むしろそれくらい豪快に遊ばないと大成しないとも言える。

経営者やるような人間、欲が強くないと、おかしいってもんでしょう。

いや、私はぜんぜん、夜遊びしてませんけど。


そして、会のおひらきの前に、こう切り出されました。

社長ね、私は過去のベンチャーブームの、悲喜こもごも、浮き沈みを見聞きしてきてね、人として、生き延びるために、これだけは大事だと、言いきれるんですよ。


そして、川野さんは、まるで歌舞伎役者が見栄を切るように、一拍おいて、身を前にのりだし、目をくわっと見開き、この決め台詞を吐かれました。

あんた、不義理だけは、しなさんなよ


この軟弱な時代に、一つの硬派な塾が現れた瞬間です。
その男は圧倒的なオーラを放ち、見るものたちを男の世界へ連れていくのでした。


やっぱり、ちゃんと投資家には、お返しをしないといけない。

やっぱり、創業の苦労を共にした仲間が、ちゃんとお天道様の下を歩けるようにしないといけない。

やっぱり、このサービスに期待してくれている、中小企業の皆さんには、継続して利用していただけるようにしないといけない。

そうだな。
不義理は、しちゃいけないな。


その言葉は重く、そして、僕がその後、売却に向けて走ってゆくための、精神的なよすがと、なってゆくのでした。

第18話 →

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