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第15話 ハンターモード

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クレイフィッシュはプロトレード よりも3年早い、97年創業の会社。中小企業向けに、メールサーバー購入不要でメールを利用できるサービス、Hit Mailを開発。営業を光通信に全面委託して、急成長していました。

2000年3月、バブル崩壊の2ヶ月前に、滑り込みで上場。しかも、東証マザーズと米ナスダックの同時上場という離れ業をかまし、市場から246億円を調達していました。

対面に座るのは、それを成し遂げた男、松島さん。まさに時代の寵児でした。当時の会員数は70万社、本体社員約120人、個人で2000億円の資産です。

藤田社長、堀江社長と並び、若手IT企業家三羽ガラスの一人として、メディアに引っ張りだこでした。

かたや、時代の寵児となることに憧れてた俺は、会員数1766社、社員6人、給料ゼロで、貯金もほぼゼロ。おない年で、なかなかの距離感です。


しかし、僕が対峙した松島さんは、その力強い言葉と大胆な提案に反して、驚くほど迫力もオーラもありませんでした。僕のノートには、EPS ▲42百万円という数字だけが、書き込まれていました。

のちに判明するのですが、業績に見合わない異常な株価を付けていた「ヒカリモノ」に対するバッシングが激しさを増す中、このころ松島さんは、光通信のオラオラ営業による余波(のちに大量の架空営業請求が判明)から、光通信との提携解消を図っていたのです。

ご本人が後日出版された本には、重光さんから、恩を忘れやがってこのやろう、と怒鳴られたとの述懐がありました。まさにその頃です。

そんな背景は、もちろん僕には、語られませんでしたが、今後の会社の展望として、「脱ヒカリ営業」というキーワードを、どこか感情的に連呼していました。

「ありがたく、ご提案を前向きに検討します。」

そうお答えしつつ、僕は直感的に、このディールが本当に結実するかは、わからないな。と思っていました。


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このころ、無双広告営業レディーと化していた、佐藤さんが、知り合いを経由して紹介してくれたのが、米国のB2Bマーケットプレースの雄、Internet Capital Group (ICG)という会社でした。

ICGは、96年に東海岸で、当初はB2Bに特化したVCとして設立され、投資したスタートアップの経営に深く関与し、ケイレツ化してゆくという、今のソフトバンクの群戦略のようなことを仕掛けていました。

やはりバブル崩壊前の、99年10月にIPOしており、一時は6000億円超のバリュエーションで、AOLとYahoo!に次ぐ、三番手のネット企業として取引されていました。株主はAT&T、Dell、GE、IBMなど錚々たる面々。

しかし、バブル崩壊後、ICGはダッチロールに入ります。GEは全株を売却し、ピークの99年12月では一株$200ドルをつけていた株価は、僕らがお会いした9月のころは、$11ドル(衝撃の94.5%ダウン)と、きりもみ急降下からのクラッシュ手前にある会社でした。


この時、大手町の豪勢なオフィスで、お会いしたジェフリーは、3ヶ月ほど前に設立された、ICG日本法人の代表。拙いながらも日本語を使いこなす、長身イケメン・アメリカ人。佐藤さんの好みのタイプ(推測)でした。

ワタシたちは、世界最大のB2Bケイレツ・グループです。
日本でもこれから、18ヶ月以内に30社、投資したいです。

個別事業エリアで、No1か、No.2になれる会社しか興味ありません。
経営陣には、グローバルマインドを求めます。

あなたの会社、面白いですね。気に入りました。

ジェフリーは、dotcom bubble崩壊の、土砂崩れに見舞われているにも関わらず、健気にファイティング・ポーズをとっていました。(しかし、あのアメリカ人の、厳しい状況でも、あっけらかんとポジティブヴァイブを発する力って、なんなんでしょう。)

そして、日本のスタートアップの経営陣の、あまりに多くが満足に英語を喋れないことを、嘆いていました。

日本マーケットのことは、こっちの方がよく分かっています。

彼はなんとか実績を作りたがっていること。でも、彼らが投資できる会社なんて、ほとんどないことは、すぐにわかりました。


直感的に、これはチャンスだと思いました。
俺の目が、久しぶりに光りましたね。
完全にハンターモードに入りました。

まさに資金ショートで、詰もうとする直前。僕らの前に、「死に体寸前ながらも、お金を使って、株価あげたくてしょうがない会社」が、二社も目の前に現れてきたのです。

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