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夏の終わりに

2023年の夏は、史上最悪の夏だった。

適応障害で働くことができなくなってしまった。
7月の初めから8月いっぱいまで、長い夏休みのような時間。ロングバケーションなんて言えれば良いのだけれど、ただただ苦しかった。ほとんどの時間を独りで過ごし、独りで考え続けていた。

これからどうすればいいのか
どうやってこの状況から抜け出せばいいのか

どん底…。

そう思っていた。

楽しいことが何もない

抑うつ症状のひとつとして、楽しめていたことが楽しく感じなくなるというのがある。本が読めない、映画も集中力が続かない、人とも話したくない、誰とも会いたくない。そんな状態に陥った。楽しいことが何もないなんて、生きている価値がないじゃないか。そんなふうに思ってしまう。やはり人間には「生きがい」みたいなものが必要なのだ。

何もしないで1日が終わるとつい焦ってしまうが、とにかく休むことが大事だと実感した。何もしない努力をすること。一週間でもいいから何の予定も立てずに過ごしてみる。明日の予定が何もないことの気楽さを感じながら、好きなことをして好きなように過ごす。何もしないで何も考えないでダラダラしてもいい。すると徐々に気力が少し戻ってくる。そうしたら会いたい人に会って話してみるのもいい。できれば同じような経験をしたことがある人や、今も苦しみながらも前を向こうとしている友人に。わかってくれる人と話すことで気持ちが楽になり少しずつ上がってくる。それは決してエゴではなくて、お互いにとって良い影響を与え合うことができたのではないかと思う。昔の同僚や友人に連絡してみるというのは、相手はどうかわからないが少なくとも自分にとっては大きな助けとなった。やっぱり友人は大切だ。一つひとつの出会いを大切にしていれば、いざという時に頼りになる。人生の岐路に立つとき、連絡したい相手。自分も誰かにとってそういう存在であれたらいい。築いてきた関係性は間違いじゃなかった。そんなふうに思えた。

未来が見えない絶望感

今回の出来事で思ったのは、ひとことで言えば

未来が見えないと生きていけない
ということだ。

未来はどうなるかなんて誰にもわからないけれど、その先の目的や目標が見えていなければ、目の前のことに必死になれない。

「これは何のためにやっているのだ?」
「どんなスキルが身に付くのか」

と、どうしても考えてしまっていた。
目の前のことに真摯に向き合っているからこそ未来が開けるとも言えるけれど、必死になって頑張った結果、未来が見えなくなったのだ。

必死だったが、夢中ではなかった

好きなことに夢中になっているときは、時間が経つのも忘れて集中している。目の前のタスクに追われて時が過ぎ去っていくのとは違う。時間の流れ方は同じだとしても、限られた時間の使い方はやはりできれば自分で選択したい。自分で決めたことならば絶望することはない。なぜなら自分で未来を変えていくことができるからだ。希望が見えるまで、何度も前に進むことができるのだから。

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