赤川次郎「いもうと」について
まだ読んでいないので、なんとも断言はできないが、
昨年10月に「ふたり」の続編を赤川次郎が出版していたのを、ついこの間、私は知り、びっくり仰天した。
伊集院光のラジオでゲスト出演した音源を拝聴したが、新潮社からの提案であると聞き、なんだ、とガッカリしたような?けれど、赤川次郎本人が北尾実加に性格が似ていて成長した姿を書いてみたかったらしいことがわかると安堵した。
色々なこと、事件がまた起こるらしいが、どうしてこうも実加の身には何かしら悲劇的なことが多いのかしら。
それを不幸だと言うにはあまりにも単純過ぎる。まあ作り話だから、それくらいドラマ性があるほうがいいのもわかる。実加の強さを表現するためのスパイスだと解釈したい、それは私の希望だ。
私はどうしたら北尾家が丸くおさまるのかを30年近く考えて来たけれど、
千津子が事故死しても、しなくても、何かしらの崩壊はあった気がするのだ。父は不倫しただろうし、母は精神を病むだろう。
もし何ごともなく、ふたり姉妹が成人しても、依存性がある母と次女は、どこかに無理がかかり挫折した時にポッキリ折れ、依存されてきた父と長女に何かしらの歪みは間違いなく生じていただろう。
本当は、
母も次女も芯の強い女性たちだ。
そのことに気づいていないこともまたあまり良くはない。
父や長女は器用だし、人知れず暗い気分を抱えていたとしても、家族に、その本人の良さを言葉で教えてやらなくては、いけなかったのではないかと、勝手に私は思う。
会話は年月が経つと少なくなったり、逆に増える家族もいる。
不幸にも?幸運にも?、姉は死の直前に、妹に、本人の良さを長所を、言葉にして振り絞って伝えることができた。即死ならまず無理だし、死にそうになってるから照れずに言えた。なんということだ。
だから、実加は強く成長できたのかもしれない。勝手に思う。
どんなことが起ころうと、実加は強く成長し続けるのだ。
それを30年近くかけて、私は解釈してきた。
自分のことは自分が一番よくわかっていない。
褒められることがエネルギーになるように、誰かに、自分が知らない自分を評価してもらうことが、生きる力になる。
そういう物語を期待したい。
近頃、「ふたり」、大林監督にまつわる本をいくつか購入したので、少しずつまた考察していこうと思っている。
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