「ええよええよ」の持つコミュニケーションパワーを知る
わたしが住んでいる淡路島の地区では、缶のごみ収集は一か月にたった一度だけ。
毎月第一土曜日の朝7時から8時の1時間のあいだに出さなければいけないという厳しめのルール。
寝坊してギリギリになってしまって、収集を終えて発進したトラックを後ろから走って追いかけたこともあります(笑)
先日の収集日朝のこと。
秋の冷たい爽やかな風を感じながら、溜まった空き缶が入った袋を片手にてくてく歩いてゴミ置き場に行くと、ご近所の人たちが集まっていました。
大家さん、ご近所のおばちゃんたち、自治会長のおじさんが楽しそうに話しています。
「おはようございます~」と挨拶をすると、みんなも笑顔で「おはよう~」と返してくれて、なんとも和やかな雰囲気。
他愛もないことをしゃべりながら、空いたツナ缶をスチール缶専用箱にポンポン投入していると、一人のおばちゃんが急に語調を強くして注意をしてきました。
「ツナ缶は捨てたらだめや!それあかんよ!」
意味がよく分からなくて一瞬きょとん。
「え?これスチール缶だから合ってますよね?」
思わず聞き返してしまいました。
なにやら同じスチール缶でも飲料系の缶はOKで、それ以外の缶はNGらしく粗大ごみとして出さなければいけないとのこと。
全く知らなかったので超ビックリ!
「えー!そうなんですか?!全然知りませんでした!3年間もずっとここに捨ててました!ごめんなさい~!教えてくださってありがとうございます!」
この時、謝罪と御礼の言葉がするりと自然に喉を通って出てきたことに自分で驚いてしまいました。
以前のわたしなら、「同じスチール缶なのにダメなんておかしくないですか?」と行政を非難して、自分の非を別のものに転嫁していたかもしれません。
はたまた、みんなの前で注意されたことに腹を立てて、恥ずかしいきもちにさせた相手に怒りを感じたかもしれません。
あるいは、自分はダメな人間だと責めて、その後しばらく落ち込んだかもしれません。
いずれにせよ、間違えたことの恥ずかしさや注意を受ける惨めさを受容できず、何かしらの防衛的な心理状態が立ち上がってネガティブな反応をしてしまったはず。
でも、今回はそれが全くなかったのです!
みんなの前で注意されたことも、今までずっと間違えていたことを知られることも、全く気にならない。
だから素直に非を認めて謝れるし、むしろ教えてもらえたことへの感謝のきもちまで湧いてきてしまう。
今までのパターンを完全に抜けている自分に出会ったのでした。
この一年のあいだ感情的な痛みと向き合って、自己受容がだいぶ板についてきた近頃。
不快な出来事と出会ってもネガティブな感情があまり立ち上がらなくなってきました。
以前なら怒りで震えてしまうことや怖くて狼狽してしまうようなことも、平静な自分を保って素直なコミュニケーションがとれることが増えてきたのです。
そんなわけで、3年間ものあいだツナ缶を誤って出し続けていた罪を自らオープンにもできて、結果的にみんなケラケラ笑ってくれたのでした。
そして、ここから思わぬ展開へと繋がっていきます。
ゴミ箱に入れたツナ缶を持ち帰るために袋に戻そうとすると、大家さんがこう言ってくれたのです。
「ええよええよ、ここに置いていったらええよ。持ち帰らんでもええよ。業者の人たちも分かってくれるだろうから大丈夫や」と。
続けておばちゃんたちも、「うんうん、ええよええよ」と。
みんなにこにこしながら、間違いを承知の上で敢えてもう一度間違えることを許してくれたのです。
「持ち帰って粗大ごみの日に出し直しなさい」とか「これからは気を付けなさい」などと言って責められることは一切ありませんでした。
このときのその場の雰囲気が言葉では表せないほど優しくて温かくて、こんな寛容な人たちに囲まれて暮らせていることに感謝のきもちで胸がいっぱいに。
救われるとは赦されることなんだとこの時に理解したのでした。
そこには〝信頼〟が充ち満ちていました。
注意や指摘をしても壊れないお互いの関係性への信頼。
次回からは間違えないわたしへの信頼。
間違えても対応してくれるごみ収集業者への信頼。
信頼し合っていると、咎めではなく委ねが生まれて、怒りではなく優しさが生まれて、深刻さではなく笑いが生まれることを知りました。
信頼していなければいないほど自分を守るために誰かを責めたくなって、結果的に亀裂が生じる関係性になってしまうのかもしれません。
でも、外側の世界は内側の世界の反映だから、相手や世界を信頼しているということは、それだけ自分を信頼しているとも言えそうです。
実はこの出来事の体験を通して、わたしのシャドーの部分を綴っているもうひとつのブログ「おひさまへのチカ道」第32灯のエピソードを思い出しました。
間違いや失敗をすると母からひどい叱責を受けて育ったわたしは、間違えることへの恐れに憑りつかれてしまって、それを回避するためにエネルギーを費やしてきた人生だったことに気付いた話です。
その気づきが訪れてからは、〝間違っても失敗しても大丈夫〟という自分への信頼と世界への信頼が育くまれるようになって、何をするにもあまり緊張しなくなってきたところでした。
そんなときに起きた今回の出来事。
間違っても怒られることもなければ、むしろ同じ間違いをすることすらも許してもらえるほど、間違いが問題や障害にならない安心の世界。
そんな平和な世界が表れたことを目の当たりにして、わたしの内側が変わったことを確信したのでした。
というわけで、ツナ缶はみんなの言葉と業者さんを信頼して、その場に置いて帰らせてもらうことにしました。
両手で合掌しながら「ありがとうございます」と言って頭を下げたら、みんな「ええよええよ」と言ってやっぱりにこにこ笑顔。
ああ、なんてきもちのよい世界なんだろう!とその清々しさに思わず天を仰いでしまいました。
お互いを「ええよええよ」で許し合える関係性だと、こんなにも寛いでいられるんですね。
思い返せば生まれてからのこの40年間、自分自身に「ええよええよ」なんて言葉をかけられたことはなく、むしろ自分を罰するくらいの厳しさで突っ走ってきました。
その処罰癖にやっと気付いて、「大丈夫だよ」の言葉を自分にかけられるようになったら、本当に大丈夫な世界がポンと目の前に表れることに。
今までと全く違う自分。今までと全く違う世界。
全く新しいものが表れることを体験すると、自分も世界も固定されたものではないことを改めて感じます。
変わるときはほんの一瞬。
埋もれていた苦しかった自分に気づくだけ。
気づいたその瞬間に世界は変わっている。
全く力を使わないからまるで魔法のように感じるけれど、法則がそこで淡々とただ働いているだけのこと。
外側の世界を通して自分の現在地を知らせてくれる他者という存在は、鏡となってくれてとてもありがたいなあとしみじみ思ったのでした。