受験シーズンの「がんばれ」は受験生に響く言葉なのか
最後の大学入学センター試験が始まり、いよいよ受験シーズンに突入。全国の受験生には(高校受験を含め)ただただ健闘を祈るばかりだが、ある記事のフレーズが気になった。
頑張れ、なんていわないで!
言われなくても頑張ってる!
どうやら、神谷悠さんの「炎迷宮」というコミックからの引用らしい。
頑張れ、という言葉。
これ以上どう頑張ればいいの?そう思ってた。…でもわかったんだ。みんなは「頑張れ」としか言えないんだって。力になりたい。でも代わってあげられない。見守ることしかできない。どうしょうもない。声援を贈ることしかできないんだ「頑張れ…!」…って。「頑張れ」は「もっと頑張れ」だけじゃない。「必死に頑張っているあなたを支える力になりたい」って言う願いなんだ。(神谷悠「炎迷宮」)
なるほど、と思った。
これ以上、どう頑張るの?
私の子供たちが受験シーズンを迎えた数年前の話である。
子供達が朝とか出かける時に「頑張って」と軽く言うと「すでに頑張ってるのに、これ以上やれってこと!」と逆ギレする。
そんな友人の経験をアドバイスとして鵜呑みにしながら、マラソンランナーをテレビの前で応援する観戦者の如く、心の中で「がんばれ、がんばれ」と言い続けた。
たぶん「健闘を祈る」という言葉から「闘」を「たたかう」の意味で「頑張れ」と置き換えて表現しているのだろう。
その後に、韓国ドラマで「ファイティン」とか言って明るい顔でファイティングポーズをとる、日常的な使われ方をしてるシーンがあった。
実は、その時に「かわいい使い方してるな」と思ったのと同時に、誰に対しても「がんばれ」と言わなくなった自分に気がついた。
頑張ろう、一緒に!
先ほどの引用に答えが出ている。
「頑張れ」は「もっと頑張れ」だけじゃない。「必死に頑張っているあなたを支える力になりたい」って言う願いなんだ。
我が家の子供達は、おかげさまで無事に受験を終えて、いま楽しい学生生活を送っている。
それにしても、あの頃「がんばれ」と妻と一緒に心の底から応援した気持ちは、子供達にも伝わったのだろうか。
少し整理すると
一方的な「頑張れ」は、受け手が誤解して「これ以上は無理だよ」と過剰な期待から逃れたいネガティブな気持ちになる。
むしろ
共感する「頑張ろう」は、受け手が共感して「応援してくれてる」と孤独感から解放されるポジティブな気持ちになる。
そして現在は、もっと大切なことを伝えるべき。
それは「根性」ではなく
人間は、頑張り続けると「燃え尽きてしまう」から、そうなる前に、定期的に、意識的に、できれば計画的に、休むことが大切。
という「本性」である。
「根性」は休みたい時に休まず頑張る。
「本性」は休みたい時に次のために休む。
スポーツの世界だって、アクティブレスト(積極的休養)の導入から記録が飛躍的に伸びている。
Good Luck !
相手に伝わりやすく、気楽な気持ちで送り出したい時の言葉のひとつに「健闘を祈る」がある。
健闘を祈ってるよ!
この「健闘を祈る」には「祈」が含まれる。
グッドラック Good Luck !
に近いニュアンスである。
やるだけやって、あとは幸運の女神のみが知る
そんな少し明るく開き直った精神状態で受験に臨んで欲しいのである。