ミュージカル論A 課題レポート/発掘された19歳の私①
PCの新調をきっかけに放置していたUSBのデータ整理に着手したところ、学生時代のレポートが出てきました。
演劇の学校に通っていた頃のものです。(私は演劇専攻ミュージカル学科の生徒でした)
何とはなしに読み返していたら、あまりに無邪気で一生懸命なのでなんだかちょっと笑ってしまいました。
19歳の私はこんなに幼かったのか、としみじみ。
当時の私が今の私を見たら確実に激怒するだろうな、と考えて少し寂しい気持ちにもなりました。
「ミュージカル論A」がどんな講義だったのかは正直あまり覚えていないけれど、たぶん一年生の前期で受講していた座学です。
恐らく課題として提出したものだと思われるので、原文のまま転載します。
需要は皆無だと思うので記事にするか迷いましたが、もし歌やお芝居の原点に興味がある方がいらしたら、お付き合いいただけると嬉しいです。
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ミュージカル論A 課題レポート
演劇専攻1年■組■番 小野木のあ
【歌・舞踊・芝居の原点と未来】
歌の原点は、祈りである。これは、私が高校の音楽史の授業で最初に教わったことだ。世界で最初の歌は、教会で生まれた。この歌(グレゴリオ聖歌)は、誰もが自然な声で歌える音域と簡易な旋律からなる、単旋律音楽である。グレゴリオ聖歌は完全にミサのためだけの音楽であり、歌うのも教会で選出された聖歌隊のみであった。この限られた条件の中で音楽は発展していったのだ。音階が生まれ、楽譜が生まれた。単旋律音楽が発展した結果多声音楽が発生し、和声が生まれ、楽器が生まれ、更には世俗音楽が生まれた。その全ての原点は祈りの言葉なのだ。
では、舞踊の原点はどこか。調べてみると、世界最古の舞踊はインド舞踊で、世界の舞踊の源流であると言われていることがわかった。しかもインド舞踊は単なる身体表現ではなく、「舞踊を通して神に祈り、それによってあらゆる願望が満たされると共に救世の道を切り開き、人々の繁栄と自己の舞踊の完成のために推しみなく精進する者は、三界で徳をおさめる」というように、信仰と深く関わり人と神との交感手段として発達していったようだ。ここでもまた「祈り」である。
この「祈り」というものは、芝居の起源においても共通するようだ。演劇の起源として多く説かれるのは、呪術や宗教的儀式が発展したものが演劇になったのではないか、という説である。古代ギリシアでは、神をたたえる祭儀として悲劇の競演が行われていた。また、人々の問いかけに対し神に憑依され「こたえる」者が現れたことが俳優の起源だと考えられることが多い。
このように、歌・舞踊・芝居のいずれにしても「祈り」もしくは「宗教的儀式」と切り離して考えることは難しいようだ。この三つを「祈り」という共通点からみると、三つとも、神(あるいは人間ではない何か)に対する、言葉に代わる意志表現の方法だと考えられる。
三つとも会話ができない相手に自分の意思や願いを伝えるために生まれたのではないだろうか。人間の力ではどうすることもできないことを解決してもらいたい時や、幸運に恵まれたことへの感謝を神に伝えたい時に、人間は歌を歌ったり踊りを踊ったり、芝居を作ったりしたのだろう。よって、神に全身で訴えかけるメッセージが、この三つの原点だと私は考える。
今現在では、歌・舞踊・芝居の三つとも神にのみ捧げるものではなくなっている。もちろん純粋に儀式として行われることもあるだろうが、神ではなく観客や視聴者、あるいは国家や社会全体に投げかけるメッセージがほとんどになっている。しかし変わらないのは、それらが何かを伝えるための、言葉ではない表現方法だということだ。言葉では伝えきれないこと、言葉では上手く伝わらないことを、人は芸術作品にメッセージとして込めるのだろうと私は思う。そして、歌・舞踊・芝居は、そのための手段であり続けるべきだとも思う。
私は、表現としての歌・舞踊・芝居は非日常的な、特別なことだと思う。日常生活で歌ったり踊ったり自分以外の誰か(あるいは何か)になったりして何かを表現する人はあまりいない。だから、歌・舞踊・芝居で何かを伝えようとすること、またはそれらを観たり聴いたりすることで何かを感じようとすることの意義は大きいのだと思う。そして、ミュージカルにはその全てが含まれている。個々の力でも充分に威力があるのに、三つ全部が盛り込まれているのだからミュージカルには相当のパワーがあるのだと思う。だからこそ、何かを伝えるための歌、舞踊、芝居でなくてはならない。明確なメッセージを持った作品でなければ、存在する意味がない。
歌・舞踊・芝居そしてミュージカルは特別なものなのだから、それらを観たり聴いたりする側にも日常とは違う重さのメッセージとして届くはずだ、と私は信じている。その重大な役目を担うものとして、歌・舞踊・芝居・ミュージカルは常に何かを訴えて叫んでいる存在であり続けるべきだ。
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レポートは嫌々書いていた記憶があるのですが、読んでいると
途中から筆が乗ってきてるなー、
その気になって燃えてきちゃってるなー、
と当時の熱量が伝わってきて、なんだか愛おしさすら感じました。
昔の自分が可愛く思えるというのは、私にとっては大変な変化です。
個人的な感傷を公開するのは少し気が引けますが、過去の整理と叶わなかった夢の供養とさせていただきます。
最後までお付き合いいただいた方、ありがとうございました。