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2024年に向けて

2024年はうるう年だ。
1日多い366日。オリンピックイヤー。
東京オリンピックがコロナで一年ズレたし、コロナの3年間が空白のような期間だから、なんとなく来年がうるう年だということにそうだっけ感があるのは僕だけだろうか。
地球の公転周期は365.25日だから4年に一度ずらすことで帳尻を合わせている。

明治の初めのころまでは日本は太陰暦だった。
月の満ち欠けが29.5日の周期だから、29日の月と30日の月があってそれが12カ月だった。
1日は必ず新月で、15日は満月だったわけだ。
でもそうすると一年の長さが、29.5×12=354日になってしまう。
一年で11日近くずれていく。
二十四節気という太陽の暦もあって春分の日だとかを観測していると一年がどんどんずれていく。
だから閏月という月が2~3年に一度、追加されていた。
暦は季節そのものを表すから帳尻を合わせなくてはいけない。
一カ月多い年が数年に一度あったわけだ。
明治初期以前の歴史を紐解いていくと、閏八月なんていう日付が出てくる。
あれは8月の後に、もう一カ月あるっていうことだったりするわけで。
今の感覚だとわりに混乱してしまう。
実際、暦の読み間違いなんていうこともたくさんあったみたいだ。

この「うるう」という帳尻を合わせる感じ。
なんというかとても良いなぁと思う。
0.25日みたいに、小数点以下に割っていく考え方よりも。
要するに割り算の答えのあまりという考え方。
なんかね「もうひとつの」っていう意味もあるみたいだよ「閏」。
閏二月とかはもう一つの二月っていう意味なんだね。
国家が分裂したりしてもこの文字が使われたりする。
かっこよく言えば、オルタナティブって感じだろうか。

割り切れないことってある。
実際、世の中は矛盾だらけだよなぁって思う。
許せないこともたくさん起きている。
白黒つけて欲しいと思ったり、割り切らせてほしいと思ったり。
どうしてもそんな風に考えがちなのだけれど。
余分がある、余りがある、そういう考え方。
割り切れないけどさ、まぁ帳尻を合わせようよという考え方。
そこになんというか面白みというか、アナログに生きている僕たちの世界の本質が詰まっているような感じがするよ。
まぁ、悪い奴らの帳尻合わせはあれだけどさ。
そういうんじゃなくて、不思議ってあるよね、みたいなさ。

僕ね、「量子もつれ」っていうのが気になって仕方がないんです。
時々それについてわかりっこないのにぼぉっと考えてしまうほど。
いわゆるミクロもミクロ、極小の量子という単位の世界の話。
二つの量子が関係性を持ち合うことを、量子もつれというのですけど。
一度、量子もつれが起きると、その関係性が変化しないわけです。
どれだけ距離が離れていても、片方の量子に何か影響を与えるともう片方にも同じような影響が出る。
しかもそれは誰もうまく説明が出来ていない。
そりゃそうですよね、距離だとかを越えているわけで。最近では距離だとかスピードだけじゃなくて時間も越えているらしくて。
だから例えば天の川の向こうの量子と地球の量子が繋がっていることもあり得るわけです。
地球で量子に文字をかけたら、天の川の向こうでリアルタイムで読めるってことです。
なんか、すごいでしょ?それをテレパシーとか呼んで、実際にあることを実証実験しているんですぜ。
アインシュタインの相対性理論じゃ説明できないらしいです。

でもなんとなくなんですけれど。
どこかでそれはあるかもなって思えるのですよ。
まぁ、あるかもっていうか実証実験で証明されているんですけれど。
人と人とが触れ合う時に、何かが繋がるって感じることがあったり。
久々に電話した友達がすごく落ち込んでいたとかさ。
第六感だとか、なんだか説明できない不思議なことってあるわけで。
そんなのたぶんいつまでも証明できないものなんだと思うのですけど。
でもやっぱりあるんだよなぁって。
それが量子なんていう極小の世界では証明されちゃったのかもなぁって感じがしているわけです。
祈りなんて届かないという人もいるけれど、どこかには繋がっているのかもしれないなんて思うのです。

何か事件があるとさ。
犯人の心理はとか、心の闇はとか、分解していく。
もちろん分解していくことは犯罪心理学という学問にとっては大事なことなのだとは思うのですけれど、余白というか、不思議というか、そこにも割り切れない、うるうのようなものがあるんだろうなと。
割り切ったら安心できるんだけど、いや多分わりきれないんだろうなって。
もちろんそれは事件だけじゃなくてあらゆることで。
本質のようなものとは別に、その余りのようなもの。
そこになんというか凝縮されたものがありそうだなって思えるのです。

量子っていうのは原子だとか電子だとか光子だとか、極小粒子に波の性質があるもので、その波っていうのがさ。映像の編集をしていると僕たちが扱うものそのものなのですよ。
音声は波形でみるし、映像だって波形で色の分布を見たりする。
音も光も、ゆらぎなんだなぁってよく思ったりするのです。
そう考えれば地球も人間もゆらぎそのものなわけで。
互いに様々な影響を与え合っている。
そこはさ、なんだろうわからないんだ。きっと。
ほんとうに、そのまま感覚的なものというか。
ああ、この感じだというのをみつけていくやつ。
自分のルーツとかで分解していっても、あまっちゃう部分が大きく作用しているんだよなって最後は思ってしまう。

小数点以下切り捨てだとかさ。
余りはなかったことにするだとかさ。
まぁ、そうしないと成り立たない場所もあるのだろうけれど。
僕はなんか、あまりという感覚を大事にしたいのです。
余分だなぁと思いながら、その余分が愛情だなぁみたいな。

2024年はそんな帳尻合わせの年。
あまりの一日。
うるう年。
僕はそういうものを切り捨てずに進めたらなぁと思うわけです。


映画『演者』
企画 監督 脚本 小野寺隆一
音楽 吉田トオル
題字 豊田利晃

「嘘ばかりの世界」だ
  「ほんとう」はどこにある

【次回上映館】
未定

出演
藤井菜魚子 河原幸子 広田あきほ
中野圭 織田稚成 金子透
安藤聖 樋口真衣
大多和麦 西本早輝 小野寺隆一

撮影 橋本篤志 照明 鈴木馨悟
録音 高島良太 絵画 宮大也
スチール 砂田耕希
制作応援 素材提供 佐久間孝
製作・宣伝・配給 うずめき

【あらすじ】
昭和20年春、終戦直前のとある村。嶋田家に嫁いだ3人の女たち。
血の繋がらない義理の三姉妹は男たちが戦時不在の家を守り続けている。

家長であるはずの長男の嫁、智恵は気を病んでいた。
三男の嫁、恵美は義姉を気遣う日々を送っている。
次男の嫁、陽子は智恵がおかしくなったふりをしているのではと疑っていた。

やがて魔物が再び女たちの前に現れる。
世界は反転して、演技は見抜かれる。

◆終映◆
・2023年11月18日(土)~24日(金)
ユーロスペース(東京・渋谷)

◆終映(特別限定先行上映)◆
・2023年4月15日(土)16日(日)※限定2日間
シアターセブン(大阪・十三)
・2023年4月15日(土)18日(火)21日(金)※限定3日間
名古屋シネマテーク(愛知・名古屋今池)
・2023年3月25日(土)~31日(金) ※限定1週間
K'sシネマ (東京・新宿)

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小野寺隆一
投げ銭は全て「演者」映画化計画に使用させていただきます。