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時代は変わっていたんだ

宮迫博之さんと田村亮さんが会見を開いた。台本の用意された引退会見と契約解消のどちらかを選べと迫られて、契約を解消して自分たちで会場を抑えての謝罪会見だった。主意は自分たちが受け取ったお金を支払った反社会的勢力の被害者への謝罪だけれど、どうしてこの謝罪会見になったのかを話すことは今まででは考えられないような、大手事務所に対する暴露とも言える批判だった。

インターネットの時代。ネットでの生放送。自分で抑えた会場。そこまですれば止めることなど出来ない。テレビ局も大手事務所だからと忖度することなく各局が報じていた。まだ記憶に新しいNGT48の山口真帆さんが暴行事件を生のネット配信で訴えて、更にその記者会見にリアルタイムでTwitterで反論するということを思い出した。SNSが禁じられているジャニーズ事務所から独立してSNSを始めたSMAPの三人について、公正取引委員会が動いたというニュースとも繋がっていると思う。言いたいことも言えないこんな世の中じゃなくなった。そんなことを実感した。

そして彼らの仲間たちが先輩たちが次々に立ち上がってる。
人と人との繋がりこそ、今の時代の最大の力だ。
それをおいらは毎日毎日実感しているのだ。

時代は変わり始めている。いや既に変わっている。
テレビというメディアはネットというメディアと向き合う時代になってる。

今回のことを書いて特定の政党を攻撃するようなTweetがどんどん流れてきた。まるで二人が同志のように書いているものもあって、とってもげんなりした。なんでそんなことをするのだろう?人の涙を利用するのだろう?大っ嫌いなんだよなぁ、そういうのは。でもきっとそれをしている人は利用しているつもりさえないのだとは思う。本当に信じ切っているのかもしれない。だから何も言えない自分もいるのだけれど。

芸能人の政治発言に勇気ある行動!と称賛する記事やツイートも何度も何度も見かけたけれど、実はそれにもげんなりしていた。Twitterで政治的発言を繰り返しても、テレビに出続けているタレントなんか何人もいる。もちろん暴言ともとれるような発言に批判が集まって、出演機会を減らした人もいたかもしれないけれど、今は干すなんてことを政治的発言をしている人にしたら、それこそ何をSNSで発言されるかわからないのだし、そんなリスクを背負うだなんてとてもじゃないけれど思えない。むしろスポンサーなどへのクレームが発生するような件とスポンサーへの忖度、放送倫理以外には、ほぼないと思っている。現場にだってそういうことで干してはいけないという若い意識がないわけがないのだし。
というか、そういう時代じゃないと思うよ。とっくに。

言いたいことを言える。それは素晴らしい事だと思う。
たださ、言いたいことを言わない。そういう選択肢があってもいいじゃないかと思っている。言わない権利だってあるはずで。言いたくない場合だってあるはずで。言える世の中だからこそ、そこを選べないと公平とは言えないと思う。

とある若い女優が「選挙に行かない人は何も考えていない人だと思う」と発言していて、とっても悲しい気持ちになった。それだけは絶対に違うと思っている。テレビのインタビューで若い人が選挙の日も知らなかったなんてのもあるようだけれど、皆が皆そうだと思っているのかなぁ。それは余りにも余りにも偏ったものの見方だなぁと自分は思ったからだ。似ていることに「年寄は何も考えずに今まで通りの投票をする」とか、「無関心が政権を選んでいる」とか、なんでそんな予想を書くのだろうと思った。でも自由なんだよな。自由に発言して良いんだよなぁ。そうも思うし。でもその発言は言わない人の言わない自由を無視してるじゃないかって思うし。
知事選も地方統一選挙もこれまで選挙権を獲得してから全ての選挙に参加している人でもそういうことを言うのだろうか?とも思う。そういう人ほど選挙に行けなんて言わないんじゃないだろうか。
言いたいことが言える世の中であるように、選挙に行くことも行かないことも自由だ。

自分の知る限り、自分の周りの人の話を聞く限り。
選挙に行かない人たちは考えていない人ばかりではない。いや、むしろすごく考えている人だっている。いわば実質的白紙投票だと感じる。
「入れるなら自民だけど、ちょっと最近入れたくないから」とか。
「自分は全ての政党の公約を読んでないし、気軽になんか参加できない」
「自分の一票でおかしな人を選んでしまう可能性があるから勉強してから」
「選挙公約が全部一致する政党がないんだよね」
「色々しつこく勧誘されて、結局疑っている」
「政治家ってのは国から給料をもらう存在だからね、それがなくなれば」
「政権交代の時のトラウマがあるから慎重に考えたい」

そんな話を聞くと、結局、選挙に行かないのではなくて「投票しない」という能動的選択をしている人も山ほどいるってことだ。
彼らは浮動票なんだろうか?自分はそんな白紙投票だって重い一票だと思う。当然、投票率は選挙結果に反映されるのだから、白紙だって一意見だ。
もちろん本当の意味で参加しない人もいるけれどさ。

そして年寄りの世代はすごく考えている。
彼らは高度経済成長期を体験し、安保闘争などの学生運動を目の当たりにして、バブルを知り、バブル崩壊を知り、政権交代を知り、大災害も経験して、その経験の中で選挙を繰り返した人たちだ。ネットの前、新聞の時代に毎日、新聞を読んでニュースを観てきた人たち。そんなに長い期間マスコミに騙されているだなんてあまりにも先輩たちを侮っている。もっとずっと本質的なことをちゃんと知っていると自分は話を聞くたびに思うけれどなあ。
というか、一度は民主党政権になったことを忘れた発言だと思う。
ちなみに同世代の連中はハイティーンで9.11の生放送を体験した連中で、冷戦崩壊からテロの時代のうつりかわりや、オウムの事件、ネットの誕生、社会の移り変わりを見てきているよ。ばかにすんな。

選挙率が、特に若い人が選挙に向かえば政権が変わるとか妄想すぎる。
そんなことを言っているうちは政権交代なんか出来ないと思う。
二大政党制をこの国の国民は一度強く求めたのだから、ちゃんともう一度そこについて考えないとそんな簡単なわけがないと思う。
今、特に考えないでもいいから選挙に行こう!なんて言っても、希望通りの政党に投票するとは思えないけどなぁ。そして考えて白紙投票の一票と、消費税がヤダー!だけの一票が同じ重さなのだろうか?ともどうしても考えちゃうよ。

そういう人が周りに多いから仮に改憲についての国民投票になったら今のままの改憲案だと通らないだろうなぁって感じている。二択になって、変える変えないであれば、はっきりとNOをつきつける人はたくさんいるように感じているから。実感として投票率が8割ぐらいになって通らないだろうなというのが自分の中の感触。
むしろ各党の改憲案を見たい人だっている感じだ。

自分はそんなに頭が良くないから、全部の政党の公約を読むしかできなかったけれど、結局ちゃんと理解できていないことも多い。
日本の大企業は強くあるべきだし、庶民も豊かになるべきだし、消費税が上がるのは嫌だし、かと言って財源は明確であるべきだし。ころころ総理大臣が変わったのは恥ずかしかったし、派閥政治も嫌だけど、だからといって長すぎる総理大臣も嫌だし、権力集中も嫌だし。
(ちなみに大企業が金儲けの悪魔のように書かれているのも散見するけれど日本の大企業は社会的責任、文化促進事業などについてちゃんと考えている企業が多いと思う)
なんというかわからないなりに自分にとっての大事なルールを創った。そして選挙に行くべきかも含めてずっと悩んでいたんだけれど、行くことにした。

・反戦
・公平

この2つだけ。もう消費税とか財源とかまでは考えても答えが出ない。
むしろそれこそ選ばれた人たちがどんどん意見を出すべきだ。
そして選挙ではなく日常の中でどんどん意見を言えることだ。
だから自分の中でプライオリティを創った。

ただし単純な優先順位じゃない。

「反戦」の中には外交も含んでいる。戦争は他国との武力衝突であり、外交がダメであれば戦争になるし、例えば日米同盟がなくなればこの国の戦争リスクは数倍に跳ね上がるはずだ。武器を買うとか9条改正とかだけで考えると危ないぞと各党の公約を読み進めていって感じた。武器がなくなれば攻撃出来ないけれど、ミサイルを落とされるリスクが上がるのだから。ちゃんとそこまで考えているところにする。とにかく戦争だけは嫌だから。

そして「公平」の中にはネット上の暴言も含めて考える。
まったくどこの政党を応援する人たちも対抗する政党の悪口だけは達者だ。
それがあまりにも多い政党には絶対に入れない。
なぜなら狂信的に支持する人がいる政党は公平とは言えないからだ。
そういう狂信的な人に、むしろ議論しましょうと言える政党があったらなぁと思うぐらいだけれど。民主主義のこの国のほとんどの政党はちゃんと公平について考えているのだけれど、それを支持する人たちの品格というのは確かにある。
公平であり自信がある政党は、相手の攻撃ではなく自分たちの目標を言うだけで十分なはずだ。
公選法もあるから明けて今日は少なくなってくれると信じているけれど。

まぁ、そんなことを言いつつ、投票所で気が変わるかもしれないけれど。
それでも頭が悪いなりに十分に考えた結果だから、それでいい。

だからと言って。
自分は行くけれど、選挙に行かない人はそれで良い。全然構わない。
そしてその人に未来の責任なんかない。
白紙投票を考えて選んだ人は、それはそれで正しい。ちゃんと参加してる。
自分はそう思うよ。

時代は既に変わっている。
アメリカの大統領がTwitterで政治発言する時代なのだから。
見てる人は見てる。

いがみあってる連中はもううんざりなんだ。
人と人との繋がり。
それ以上に信用できるものはなく。
それが何よりも強い力になるってことがどんどんわかってくるはずだ。
否定から生まれただけの肯定が勝てるわけがない。
もっともっと人の体温を感じないとだ。

少なくてもそれが自分の生き方だから、そこに近いものを支持したい。

行きたいと思える人は参加すればいい。
自由に。何も言わなくても。
行かない方が良いなんて言わないし、同じように行けとも言わない。
全てが貴重で平等な一票だ。
実に民主主義じゃないか。新しい時代こそ。

立候補者のポスターを貼ってある看板の裏で。
滑り台の犬が笑ってらあ。

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小野寺隆一
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