書くための「近道」はない模様
文芸誌Sugomoriに寄稿したエッセイが公開されました。
普段は短編ですが、今回は文学フリマも近いので、趣向を変え。あまり話したことのないジャンルなので、特に筆がのっているとの評も。共感を呼ぶとの感想も(笑)本当にたいへんな世の中であることよ。
実際に体験したことをエッセイにしていくのには周囲の目や本人を気にして、抵抗もあったのだけど、実のところは明らかな暴露や中傷ではないし、最近は「物書き」だと明かしていればOKかなと思い直している。物書きなら書いちゃうよねっていう性分で。
そのほか。
自主映画のシナリオ初稿と、文学フリマに寄稿する小説1本目を提出。シナリオ書いたり、小説書いたり、できないできないの、できてもイマイチだの叫ぶ。
そんな調子でキャリア論とかどうだろうと、図書館で本を大量に借りたんだけど、帰宅して手に取ってみたら、イマイチなラインナップになってしまった。簡単な手引書なんかじゃダメか、上を目指さんとなのか。
先日の配信で「どうやってアイデアを思いつくの?」と質問を受けて、「モニターとパソコンの前でただ書くんですよ」っていう状況を伝えた。「ああ、シャワーとか散歩とかでアイデアが浮かぶとかそういうことではないか、と思っていて」と返されて、ああ、そういうことも憧れるよねと思う。
仕事術のコラムなんか読むと、そういうアイデアの思いつき方もあるのかもしれない。
たくさんの思考のなかで、パズルのようにうまくハマる事もあるだろうけども、でも多くは、ただ、ただ、ノートに書いたメモを頼りに書いていくしかない。
なんというか、パワポ資料をうまくまとめても、そのまま論文にはできないように、ツールによって表現される内容も違う。最終的にワードなのでひたすら打ち込むことしかできない。いくつもの補助線的に、箱書きやプロットやシノプシスがあって、それでも、シナリオにおとしてどうなるか分からないと思っている部分もある。
早く書き終わりたいのに、まだまだいつまでも試行錯誤してしまう。いつまでも始められない。こういうセリフも入れてみたい、とアイデアはどんどん生まれていく。ちょっと、ため息。ひと呼吸。