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「エコロジー・リーディング」と名づけてみる no.3〜「空間」に着目して〜

山本貴光氏の「文学のエコロジー」(講談社 2023年)にヒントを得て、文学の授業実践「エコロジー・リーディング」の開発について考えている。2025年2月1日(土)にKOGANEI授業セミナーにて、「海の命」を使ってその実践を試みる。
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今回は、「文学のエコロジー」の第Ⅱ部「空間」について、文学の授業実践に関わりそうな部分について感想をまとめる。
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第Ⅱ部「空間」 言葉は虚実を重ね合わせる/潜在性をデザインする/社会全体に網を掛ける方法

第Ⅱ部では、第Ⅰ部で導入された文芸作品のエコロジーをシミュレーションするという方法が、バルザック作品に適用される。そこから文芸作品がどのような空間によって構成されているのかが語られていく。

本書では、文芸作品がシミュレーションされていくまでの空間を次の3点で捉えている。

・作品世界:文芸作品で表現されたもの
・意識内世界:文芸作品を読む人の脳裡に構築されるもの
・コンピュータ内世界:文芸作品の記述に基づいてコンピュータでつくられたもの

p.67

そしてこれらは、作品世界→意識内世界→コンピュータ内世界の順で関係していく。

さて、このような連関のうちに形成されていく文芸作品のエコロジーを検討する上で、バルザックに着目した理由を、山本氏は3点述べている。
1つ目は、バルザックが「一連の小説を「人間喜劇」という総題のもとにまとめている」(p.112)からである。バルザックの小説では、別の小説に登場した人物が、他の小説にも登場する(人物再登場法)。
2つ目は、「人がいかなる環境をつくり、それに囲まれて生きているかというエコロジーの視点」(p.114)をバルザックがもっていたからである。バルザックが、小説において細かな物まで描写するのはそのためだという。
3つ目は、「多様な社会現象についてその原因を探る」(p.115)ことを試みているからである。バルザックは、天体運動を予測できるように、人間社会についても予測しようとした。

つまり、バルザックは種々の文芸作品によって、社会全体の運動を捉えよう(シミュレーションしよう)としていたのである。このことは「人物再登場法」以上の意味をもつという。

彼や彼女たちはある小説に登場しないときでさえ、同じパリのどこかで暮らして活動しているはずである。パリという都市があり、そこに多様な人びとが暮らしていて、バルザックは作品ごとにある人物なり場所にカメラを向けるようにして注目する。すると、その人物の行動に従うカメラに、街のさまざまな場所やそこにいる他の人物たちも映り込む。バルザックの筆が向かわないところでも、人物たちは活動しているわけである。

p.115

文芸作品の空間を、作品の終わりとともには閉じない捉え方は、読者の立場からは共感しやすい。ある物語を読み終えた後に、人物たちの残像が残ることは珍しいことではない。「ロス」といった言葉で形容される現象はこのことをよく物語っている。
造形された人物たちは、作品世界から読者の意識内世界へと渡り、存在し続けているのである。

作品空間の拡張から考える文学の授業

以上のような文芸作品の空間観から、文学の授業実践に向けて、どのような示唆を得られるだろうか。
まず一つは、継続する作品世界を引き取る発想が生まれる。作品世界は、言語によって切り出された切片だけで構成されるわけではない。このような空間の広がりを子供たちと共有する必要がある。このような広がりの中で作品世界の記述(本文)を読むとき、記号から記号への乗り換えのような読みとは違う読みが生まれると思われる。
作品世界の引き取りのためには、作品世界や登場する人物と親しくなる必要があるだろう。一読後の感想から学習の見通しを完了させてしまうような展開では、それは難しい。作品世界をフィールドワークするような時間を設けたい。

別の観点からは、作品世界と、読者が存在する世界が、限りなく近づくようなことも考えられるかもしれない。現行の学習指導要領では、自分の体験に基づいて感想をもつことが指導事項としてあげられているが、作品空間を拡張していくと、読者がいる世界とつながって、何か面白い感想が生まれてくるかもしれない。 


今日はここまで。次回は第Ⅲ部「時間」を読んでいく。


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