「エコロジー・リーディング」と名づけてみる no.1
山本貴光氏の「文学のエコロジー」(講談社 2023年)を読んだ。
決して教育者向けに書かれた本ではないが、私はこの本は文学の授業を考える上で非常に示唆に富んでいると感じた。これまでの自分の問題意識が、この本の「エコロジー」概念を用いることで、言語化できるような気がした。なのでひとまず「エコロジー」に注目して読む読み方を「エコロジー・リーディング」と名づけてみる。
2025年2月1日(土)に、KOGANEI授業セミナーにて、6年生の子供たちと、立松和平「海の命」の授業を行うのだが、この授業を「エコロジー・リーティング」の最初の実践としたい。名づけてみたものの、実態は自分でもまだよくわかっていない。実践に向けて、思考や記録をこのnoteに記述することで形になっていけばいいなと思う。
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授業実践者として何が面白いと思ったのか、読後の感想をまとめる。といっても本書は400頁を超える大著でもあるので、今回は主にプロローグに絞って書く。他の部分については下のマガジンにまとめた。
「文学のエコロジー」には何が書かれているのか
まず、この本は「文芸批評」ではない。では何かというと、
ということである。それ以上でもそれ以下でもない。
山本氏がこのような言葉で本書を表現したのは、氏が文学をゲームクリエイターの目で見たことに依る。そして「もしこの文芸作品を、コンピューターで動くシミュレーションとしてつくるとしたら、なにをどうすればよいか」(p.14)という問いによって、様々な文学作品が本書のなかで「シミュレーション」されていく。
「シミュレーション」を始めると、すぐに気がつくことは次の点である。
「当り前じゃないか」と思って耳をふさがないでほしい。
私はこの「省略」への着目こそが、本書の最大の魅力ではないかと感じている。ゲーム作家である山本氏にとって、この「省略」の重さは、具体的な作業量として感じられるのである。
「省略」から何を見出すか
ゲームクリエイターは、ゲームの世界を設計するために、空間や時間、自然法則等、さまざまなルールを設定する。クリエイターがつくらないものは、その世界には存在しないのである。文芸作品をシミュレーションしようとして、すぐに「省略」に行き当たるのは、このような世界の設計へのまなざしがあるからである。
文芸作品では、しばしば人物や情景の描写が見られるが、世界の設計には、その描写だけでは得てして不十分である。キャラクターは何色の服を着ているのか、どんな仕草をしているのか、目線はどちらか、そしてそのキャラクターの周りに他のキャラクターはいるのか、そこにはどんな風景が広がっているのか・・・これら全てを言語化していたら作品の時間は一向に進まない。文芸作品は、「省略」とある種の読者への信頼によって展開されていくのだ。
もちろん、ゲームの世界にもすべては描き込めないだろう。しかし少なくとも世界の設計には、文芸作品よりも多くの情報を要するのである。
すると何が導き出されるか。
それが本書の大まかな構成ともなっているのだが、文芸作品における「空間」「時間」「心」には、少なくとも記述されているよりも膨大な事物を抱えているということである(ちなみに本書は上の3つに加えて、最初に「方法」についての説明、最後にまとめがあり、合計Ⅴ部で成っている)。
ここでポイントになるのが、文芸作品をシミュレーションしようとして働く世界設計のまなざしは、文芸作品の世界を読み解くまなざしと重なる点である。
つまり、本書は文芸作品のシミュレーションを試みているわけだが、実は同時に文芸作品の世界の成り立ちも読むことになってしまっているのだ。
物語の読書体験を思い出してもらえばわかると思うが、文芸作品は、読者による省略への補充がなければ展開しない。言語によって記述された情報だけでは、世界を十分に設計できないのである。だから読者は、それぞれの文脈を導入しながら作品世界を創造する。本書は、この創造行為が、ゲームプログラマーの目によって極めてストイックに描き出されている、といっても良いかもしれない。
そしてこの作品世界を設計する視点は、文学の授業において、子供たちが作品の世界を理解していくのに有効ではないか、というのが私の直感である。これまでの実践経験から考えて、そんなに外れていない気もしている。
今日はここまで。「海の命」の実践に向けて、「エコロジーリー・リーディング」について、もっと思考を練っていきたい。
参考
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本書では、エコロジーについて
と書かれている。
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ネットに鴻巣友季子氏による書評も出ていたので、参考までに…
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