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「エコロジー・リーディング」実践編〜「海の命」②〜
山本貴光氏の「文学のエコロジー」(講談社 2023年)にヒントを得て、文学の授業実践「エコロジー・リーディング」の開発について考えている。2025年2月1日(土)にKOGANEI授業セミナーにて、「海の命」を使ってその実践を試みる。今回は実践報告②。
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※「文学のエコロジー」の感想をまとめたマガジン「エコロジー・リーディング」はこちら↓
チームで学びを進める意義
前時に書いた学習感想を共有した後、前回の「やまなし」でも時間、空間、人物に着目して読んだことを振り返り、班ごとに「時間」係、「空間」係、「人物」係を決めた。班は3~4人なので、4人班はどれかの係が2人になる。
6年生のこの時期ということもあって、学級は本来の半数程度しか子供がいない。ちょうどこの学習が終わるころに、全員が戻ってくるので、戻ってくる仲間たちに、班ごとにポスターセッションの形で今回学習したことを伝える、という言語活動を設定した。
それぞれの視点から読み深めたことを、班でも共有し、「私達の「海の命」」としてまとめてもらう。
それぞれの視点のエキスパートがいるという点で、この方法はジグソー法を思い起させるが、今回私が参照したのは、白百合女子大学の涌井恵先生が書かれている下の記事だ。
この記事自体は、発達障害をもつ子も包摂しながら協同学習を進めることが目指されているが、ここで書かれていることは、一斉授業の見直しが要請される時代において、参考になった。
特にチームで学びを進めることは、「個別最適な学び」と矛盾しそうだが、チームの中で一人一人の子供が役割をもつことは、学級担任としては子供たちに責任感とともに安心感ももたせるように思った。子供たち一人一人へのまなざしを回復させるとは、決して子供たちに全て任せるという意味ではないと考えている。自由な学びは良いようで、その中でどうしたらよいか困っている子供もいる。そうした子供へのケアを忘れてはいけないだろう。
このケアの方法は、教員の個性が出るところだと思うが、今回私は、涌井先生が示されたような、チームで学びを進める方法を選択した。この学習環境デザインによって、班の友達、そして同じ係の友達、と二重に他者との出会いが約束されるからである。
これは私の学級経営上の問題もあると思うが、自由にグループを組ませると、どうしても同じようなメンバーで集まりがちである。今回のようなデザインにすることで、子供たちがより多くの友達と関わりながら協同的に学びを進められるようにした。
係ごとに何をシミュレーションするのか
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係を決めたら、それぞれの視点でシミュレーションを始める。ここでいうシミュレーションとは、作品世界を、何らかの作業によって自分で動かしてみることである。シミュレーションによって、物語世界を設計するまなざしを獲得し、そこから、何かそれぞれの子にとって切実な問いが生まれてくるとよいなと思っている。
上の黒板の写真は、それぞれの係が行うシミュレーションの説明だ。
「時間」係は、年表をつくる。「海の命」は時間の流れる方向は一定で、途中で回想が入って時間が戻るようなことはない。その意味で、出来事が起こった順に年表に起こしていくことが、この係のシミュレーションとなる。
「空間」係は、地図をつくる。「海の命」の物語世界を地図に起こすが、こちらからは2つ注文した。1つは俯瞰的に村や海を見た、いわゆる地図。もう1つは、海の中の地図である。「海の命」では「瀬」という特別な場所において物語が展開するが、普通に読むとこの「瀬」を読み落とす、もしくは「瀬」とはどんな場所かわからないまま読んでいってしまう危険がある。
「人物」係は。図鑑をつくる。これは漫画等の最初にあるキャラクター紹介のようなものである。子供たちにとって、最もイメージがわきやすいだろう。性格(人物像)を書くことは注文したが、他にも子供たちが書きたいものを自由に書いてもらう。
「時間」係の様子
「時間」係の子は、太一のおよその年齢をもとに、出来事に着目しながら、下のような年表作りを始めた。紙でやる子もいればパワーポイントでつくっている子もいた。
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写真の年表で私が面白いと思ったのは、年表の始まりが「父の父の父の…」と書かれていて、おまけに長い「→」によって時間が右に向かって進むことが示されながらも、左端には反対向きの「←」が添えられている点だ。これが年表に書き入れられたのは、この子が冒頭の「父もその父も、その先ずっと顔も知らない父親たちが住んでいた海に、太一もまた住んでいた」の一文を、時間に関する表現として感じたからだろう。この指摘は興味深い。
この写真の矢印の向きに端的に表れているように、時間が未来に向かって進みながらも、どこか時間を遡るような書き出しから物語が始まっている。これこそが、まさに作品のエコロジーを読むことだと思われるが、この物語世界には、太一の父はもちろん、その父も、その先ずっと顔も知らない父親たちも、存在しているということである。これは年表づくりを通して「時間」をシミュレーションしようとしなければ、なかなか気づけない視点ではないだろうか。少なくとも、これまで何度か「海の命」の実践は重ねてきたが、この冒頭の一文に目を留めた子はいなかったように思う。というか、いてもその気づきをどう授業に持ち込んだらよいか、私も子供も、その方法がなかったように思うのだ。太一に父がいて、その父もいて…「だから何?」「それでどことつなげるの?」となってしまいそう、ということである。
しかし作品のエコロジーを読むという視座に立ち、作品に流れている時間を整理しようとしたとき、この一文は、年表の始点と関連づいて考察に値する一文として浮上してくる。この物語世界の始まりは底が抜けてしまっている…このことは、この後の読みにどのように影響してくるのだろうか。
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その後、ジグゾー法のエキスパート活動のように、係ごとに集まって、作業状況や感じたことを交流した。そこでは問いが生まれてくることもあった。シミュレーションを通して、自然に問いが生まれてきたと思われる。
「時間」係の問いで話題になったのが、一番上の「時間の表現がはっきりしないのはなぜ?」という問いだ。これは「時間」係じゃないと持って来れない問いだろう。年表を作ろうと、出来事に着目しながら読んでいったが、一体これらの出来事はいつ起こったことなのか、あまりはっきりとしない。そしてそれなのに、この物語は時間がどんどん進んでいく(子供だった太一が父親になっているので、少なくとも30年程の時間が過ぎている)。「海の命」という作品に流れる時間のとめどなさのようなものに、子供たちはシミュレーションを通して気づくことができた。そしてこの発見は、「海の命」を読み解く上で、結構重要なことなのではないかと感じたが、もう少し見守りたい。
「空間」係の様子
「空間」係の子供たちは、下の写真のように画用紙に手書きの地図を描く子が多かった。
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写真が切れてしまっているが、上の俯瞰した地図では、斜線が「海」で、その向こうに「瀬」「亡くなった場所」ということが書かれている。もちろん「瀬」も海のうちなのだが、「瀬」を書き分けようとした、この子なりの表現だと捉えたい。
下の海の中の地図を見ればわかるが、この子はインターネットで「瀬」について調べ、それが海底が隆起することで生まれたことを捉えている。この隆起によって、瀬には日光が届きやすくなり、それによってプランクトンが増える。そうすると、それを食べる小魚が集まり、さらにそれを食べる大きな魚も集まる。海底が隆起することで上昇流が生じることもあって、「瀬」は格好の漁場となる。
物語の展開を追うことが中心の授業だと、こうしたことは読み落とされていく危険性がある(かつての私も読み飛ばしていた)。けれどこの物語世界には、こうした空間も内包されているのである。作品のエコロジーを読むことは、例えばこの「瀬」のような空間も、きちんと授業の中に存在させることになる。
そして、おそらく「海藻のゆれる穴のおくに」という描写をもとに、この子は瀬の主がいた場所もシミュレーションしている。物語の最重要場面に関わる空間が、このように可視化されていることは、子供たちの理解を助けることになるだろう。
俯瞰の地図に戻れば、一軒一軒の家も、よく見ると面白い。海沿いには「漁師仲間の家」が並んでいるが、海から遠い方には「村人の家」が並んでいる。つまりこの村には漁師もいれば、そうではない人(他の商売をしている人)もいるということが、この子はシミュレーションできているわけである。それにどんな意味があるのかと言われると、今はなんとも言えないが、少なくともかつての自分が、登場人物は太一と、お父と母と与吉じいさの4人だとしていたことは反省したい。ちなみにこの子は「お父が亡くなった時に、仲間の漁師で瀬の主を引っ張ってるから、何人か仲間の漁師はいると思うんだよね」「村一番の漁師って言うぐらいだから、30人ぐらいいるんじゃない?クラスと同じぐらい。クラスで一番って言われたら嬉しいもん」と話していた。確かにそうだろう。太一の家族と与吉じいさにフォーカスされがちだが、太一が生きている村には他にも漁師が生きているはずである。また人数を考えるのに、学級の人数を代表させるところも子供らしい。村人の人数については記述がない(省略されている)ため、読み手は自らの記憶を参考に補うしかない。この子にとって、学級の大きさがちょうどしっくりきたようだ。
「人物」係の様子
「人物」係の子たちは、下の写真のような図鑑をつくった。
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太一やおとう、与吉じいさ、母に加えて、クエや瀬の主を加えてつくる。中にはイサキやブリについて調べている子もいた。また人物どうしの関係図をつくるアイデアも生まれた。
「人物」係同士で集まって話し合うと、下の写真のように、様々な問いが生まれた。
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それぞれの人物について問いが生まれている。時間や空間に比べて、言動が具体的に描写されるため、子供たちにとって考えやすいのだろう。
見通しと振り返り
この時間の終わりに、振り返りを行った。
それぞれの係に注目した部分を話してもらった。係ごとに注目する部分が変わっていることがわかる。これは「見方・考え方」が提起する「どのような視点で物事を捉え、どのような考え方で思考していくのか」の枠組みで言えば、時間、空間、人物が物語を捉える視点となっていることになる。そしてそこで捉えられたことについて「想像」(連想)という方法で思考していった。思考の方法は想像だけではなく、写真を載せたように、2つのクエ(瀬の主)を「比較」する、という方法も使用されている。
国語科(文学的文章)の本質的な学びとして、こうした「見方・考え方」を鍛えていくことが資質・能力を育むことになると考える。
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次時では、作品のエコロジーを読んだ子供たちが、どのような問いを形成していくのかを見ていく。