「エコロジー・リーディング」実践編〜「海の命」〜
山本貴光氏の「文学のエコロジー」(講談社 2023年)にヒントを得て、文学の授業実践「エコロジー・リーディング」の開発について考えている。2025年2月1日(土)にKOGANEI授業セミナーにて、「海の命」を使ってその実践を試みる。
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※「文学のエコロジー」の感想をまとめたマガジン「エコロジー・リーディング」はこちら↓
「エコロジー・リーディング」は何を大事にするのか
エコロジー・リーディングは、作品のエコロジーを読んでいく。エコロジーとは生物が生きる場所を含めた観察である。したがって文学作品におけるエコロジーとは、登場人物が生きる場所、すなわち作品内世界を含めた観察を行うことである。
この方法の導入が、文学の授業にどのような変化をもたらすのか。それは作品内世界の観察である。
一般に文学の授業は、書かれていることをもとに、物語の展開に沿って読解が進められていく。しかし山本氏が指摘しているように、文芸作品は膨大な省略によって成立している。そのことを踏まえれば、書かれていることだけを読んでいくことは、その作品を十分に味わったことにはならないのではないだろうか。もちろんこれまでの文学の授業実践においても、「書かれていることをもとに、書かれていないことを考える」ことは多く実践されてきた。ただ同時に、「考えてもわからないことは考えない」という言葉も聞く。
あるあるは宮沢賢治の「やまなし」に登場する「クラムボン」であろう。「クラムボン」の正体はいくら考えてもわからない、だから考えない、という教室を、私はこれまで何度か見てきた。確かに「クラムボン」の正体について、宮沢賢治は明示していない。でも「わからないことは考えない」という姿を、教師が子供たちの目の前で見せてしまうことに、私は倫理的な問題があると思う。むしろ教師は「わからないから考えよう」と言うべき存在ではなかったか。「海の命」もまたそうであるが、文学は、しばし曖昧さの中でたたずむ。そのたたずまいを、教室のみんなで見守るような時間に、私は教室で文学を読む価値があるように思っている。そしてそんな風にわからなさに向き合うことは、教室に何か大きなものを連れてきてくれる、というのが実感である。(ちなみに「クラムボン」の正体について、この前の11月に行った実践で、私は素敵なことを子供に教えてもらった。機会があったらそのこともどこかで書きたい)
話がそれてしまったが、要するに、考えてもわからないかもしれないが、考えてみたいのである。しかしその方法がこれまでうまく説明できなかった。作品のエコロジーを読むという方法は、このわからなさに挑むための方法を示してくれる。
「文学のエコロジー」では「時間」「空間」「心」の3部が中心となって書かれていたが、このことはそのまま作品のエコロジーを読むための視点になっていると思う。つまり作品内世界にはどのような「時間」が流れているのか、どんな「空間」が広がっているのか、登場人物はどのように「心」を動かしているのか、という具合である。
一般的に文学の授業は物語の展開に沿って授業が進められるが、これら3つの視点は、必ずしも物語展開に束縛されない。というのも物語の展開とは、作品内世界のごく一部の現象に過ぎないからである。物語の展開を含みつつ、作品内世界はもっと大きい。エコロジー・リーディングの特徴の一つに、このような物語の展開とは別の、すなわち省略されたものへのまなざしが挙げられる。
山本氏が、この省略されたものへのまなざしを回復させるためにとった方法がシミュレーションであった。コンピュータ・シミュレーションにおいて、プログラマーがつくらなかったものは存在しない。この明確な規則のもとでは、省略を補うことは通常行為なわけである。エコロジー・リーディングにおいても、この省略への着目が欠かせない。
しかしここで考えなければならないのは、教室ではコンピュータ・シミュレーションが行えない点である。それは子供の技術的問題もあるが、シミュレーションを行う道具的問題もある。エコロジー・リーディングを実践するためには、この2つの問題を攻略したシミュレーション方法を開発しなければならない。
どうするか。
これはまだ案だが、今回の「海の命」の実践では、「時間」「空間」「心」について、それぞれ以下のような別の方法を子供たちに与えることで、シミュレーションすることを試みたい。
◆「時間」については、作品内世界の「年表」を作成する
◆「空間」については、作品内世界の「地図」を作成する
◆「心」については、登場人物の「図鑑」を作成する
…これで文学の授業は成立するのか?
私もまだよくわからない。でも「わからないから考えてみよう」とさっき書いたばかりであるから、まずはここからシミュレーションを始めてみる。シミュレーションとは、具体的な操作をともなうことで、記述された作品内世界を動かしていくことではないかと考えている。「年表」や「地図」、「図鑑」を作成することで、書かれたままでは止まったままの作品内世界が動くような瞬間に立ち会えるのではないかと思っている。そこからどうするのかは、そのときまた考えたい。
ちなみに、文学の授業として成立しているのかは、学習指導要領との関係で説明されるだろう。
今回の「海の命」は、2月1日の授業セミナーにあてる。講師は文科省教科調査官の大塚健太郎先生(本校OB、私の先輩)である。エコロジー・リーディングの試みが、文学の授業として成立しているのかどうかを判断するのに、これ以上ない方ではないかと思っている。
そのためには、このエコロジー・リーディングによって、どのような資質・能力が育まれるのか、見当が必要である。
そのことは指導案に書いていきたい。
とりあえず、明日から授業を始める。どのような実践になるのか、記録もこのnoteに残していく。