限界地方に生まれた時点で資本主義のカースト下位であることがほとんど確定している件
ただし、女であり見た目が良ければ「結婚」という大逆転ができるので、安心してくれ。
男の人はカースト制度を身に染みる機会が多く、大変だと思う。
ニーチェの本でも、頑張っても報われない、頑張らなくても何もかも手にしている人を見ると嫉妬し、嫉妬し自分の人生に失望した者は末人になる、と書いてあった。
ここでいう末人とは、ただ惰性で生きている人のことらしい。
会社にはとりあえず行っているが自分の年収のMAXが見えており、それは1000万には到底到達しないとき、人は転職したい、と思うだろう。
私自身も総合職ではあるがそこまでバリキャリなわけではない、バリキャリまでいかないゆるキャリで働くのが理想である。
同じ会社で奥さんが専業主婦な人もいる中、私は医師の旦那を持ちながらゆるゆると働き、世帯Aの世帯収入分(=私の収入)をまるまるっと貯金し、余剰資金として使うのだ。
就職でひと逆転した私が言うのもなんだが、就職だけ成功しても、一人で働いて40代独身の女性の先輩を見ていると、やはり反面教師に見えてしまう。
東京は独身にも優しい、ただし、人類はやがて自分のためだけに頑張ることに飽きるようにシステムが作られているのではないか。
30を過ぎると自己実現欲求の内訳が母性、自分の子孫の成長を見届け、養うことになるんだろう。
それを経験できない一生独身な人は、ある意味では幸せだとは思うが、やはり死ぬとき、寂しいだろうと思う。
女の子は結婚で逆転できるよ。。。。(可愛ければね。)
そして、この資本主義の仕組みに絶望してしまうのは東京ならではであろう。
限界地方に生まれ、限界地方のまま一生を遂げれば、自分が資本主義のどのカーストに位置しているかなど気にするタイミングが起きないのである。
なぜなら限界地方では年収350万円の県庁職員、であることで社会的地位が成り立ってしまうからだ。
そして物価も地価も安いため、たとえ年収350万円だとしても二階建ての立派な一軒家は買えるし、教育も公立のほうが偏差値が高いため勉強をさせれば学費にも困らない。
公立の学校を卒業させ、子を家から通える駅弁大学に行かせ、限界地方の県庁職員になる/結婚させることが限界地方の並の親の「最も成功したルート」なのだとおもう。
私は大学時代は九州の地方駅弁大に通っていた。
両親は大学受験の時に、駅弁大に行って県外に就職するor東京の大学に行って、出身県で就職する
という二択を押し付けてきた。
確かに大学の費用は駅弁大で成績優秀者になったとはいえ4年で100万円、年収400万のうちの父親、年代的に専業主婦至高主義の母親の経済力では厳しいものがあったのであろう。うちは三人姉妹、そして私は次女でまだ下の妹がいたからだ。
大学入学の時は駅弁大学のデメリットはさほど感じていなかったが、今ならわかる。
「周囲5mの人としか恋愛は発生しない。
ハイスペックな人と出会うには自分のレベルを上げ、釣り合う女にならねばならない。」
東京で医師と結婚できた私は本当に運がよかったのだ。
駅弁大に進学し、現地の県庁に入庁するのが親世代の最善のシナリオ。
娘を3人生んだなら、近くで嫁に行かせてゆくゆくの介護の面倒も見てくれたらいいな・・・とそんなところだろう。
気持ちはわかるが。
そうすると永遠に資本主義の最下位カーストから抜け出すことができず、我が家は中流家庭なのだ。
親の期待というエゴから抜け出すためには駅弁大に進学し、就職で社会的地位の高い会社に入るという選択肢のみが残されていたのだ。
自分の社会的地位(ここでは年収)を上げると、合コンでも周りからの見る目が変わる。
年収の高い優しい賢い美女を演じれば、かわいいだけの偏差値が低い女と差別化できる。
そもそも自分の周りのレベルを上げることで、低偏差値の女友達/男友達と関わることがそもそもなくなる。
ただし見た目には気を遣おう。
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