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雅子の正義は空回り
ワタルからその話を聞いたとき、雅子は驚きを隠せなかった。そんなことがあるのだろうか。
息子は自分が話したことの重大性に気付いていない。雅子は自分の驚きをワタルに悟られないようにそれとなく会話を終わらせた。
11月。しし座流星群が見れた夜。
担任の早坂先生が一部の生徒を連れて流星群を見たというのだ。
ワタルの話によるとクラスの目立つ子だけが担任の引率のもとに夜間外出をしたという。
雅子は愕然とした。そんなことが許されていいのか。完全なる贔屓ではないか。
「なんかケンイチとかモモコがキョウコ先生と一緒に見たんだって」
「ワタルはどうして行かなかったの?」
「えー行くの知らなかったから」
テレビゲームをしながらそんな話をするワタルがとても愛おしかった。
もしかしたら自分が誘われなかったことに深く傷ついているのではないか。
一部の生徒だけを引率したら不公平だ。クラスの担任としてその程度の中立性も保てないものだろうか。
まだ20代と若く爽やかで、ファッションや芸能についても生徒たちと話題や価値観を共有できる人気の先生、というのが雅子から見た早坂先生の印象である。
しかし最愛の息子と言えどワタルだけの言葉を信じてはいけない。
使命感に駆られた雅子は即座にママ友に連絡し、この話が事実なのかを調べ始めた。
雅子はPTAの会長である。
長男のタケルが入学してからすぐにPTAに携わったので、かれこれ6年。
4年目に副会長になり、今年会長に就任した。
ワタルの卒業までと考え、あと2年は会長職を続けるつもりである。
最初は学校行事の補助や簡単な広報活動の手伝いだけだったが、仕事を覚えるうちに徐々に役割が増え、現在は会長として、通学路の安全確認、登校班の振り分け、独自で発案した子どもたちの文化的な活動に関する企画などを進めている。入学式、卒業式ではPTA代表として生徒の前で祝いの言葉も述べている。
学校では知られた存在なので、廊下を歩けば教職員から挨拶されるし、校長室で校長とお茶を飲むことだってある。そうやって単なる主婦だった自分の価値が高まっていくことに雅子は快感すら覚えていた。
部下的存在のママ友から情報が入り、ワタルの言ってることが事実であることを知った。
どうしてウチの子を仲間はずれにするのか。
一体どういうつもりなのか。
数日後、雅子はママ友数名を引き連れて学校へ向かった。
応接室にて、学年主任相手に「担任教師が特定の生徒を贔屓して良いのか」と早坂先生の夜間外出の件について強く抗議をした。自分はPTA会長である。すぐに該当教師が部屋に現れて謝罪をすると思った。
しかし学校側の回答はこうであった。
「勤務時間外の行動は教師といえどプライベートにあたるので、学校として責任は負えない。個人の裁量に任せている。」
近年、学校教師の働き方が見直されているので、こういったことを表立って問題化すると、すぐさま情報が漏れ、賛成派反対派と社会を巻き込み、望んでいない論争が起きる。そうやって学校の名前が知れ渡り、あらぬ疑いが拡散され、社会の信頼を失うことだけは避けたい。
つまり、この件で早坂先生を糾弾すると、早坂先生がこの件をSNSに書き込み「プライベートの在り方まで学校に問われた」と問題提起をしかねないので、何もできないと言うのだ。
「早坂先生はそのようなことをやりそうな人なんですか?」
「それはわかりません」
学年主任の回答は歯切れの悪いものだった。
ただ、リスクを避けたいという気持ちは十二分に伝わってきた。
このご時世、どこに爆弾が落ちているかなど誰にもわからないのだ。
ママ友数名は学年主任の意見に理解を示した。
贔屓ではなく事前に早坂先生が希望者を募ったという話を聞いた、という人もいた。
そんなわけはない。
だってワタルは知らなかったんだから。
納得できない雅子は帰宅後、ワタルに真意を尋ねた。
「しし座流星群、行きたかった?」
「いや、僕ゲームしてるのが楽しいから」
仲間はずれにされたから心を閉ざしている。
本当は、行きたかったはずなのに。
後日、雅子は単身で学校へ行き、あらためて「早坂先生の行動を学校全体の問題にする」とPTA会長権限で緊急保護者会議を開くと学校側に掛け合った。すべての保護者に問題を説明し、これが生徒の心に影響を与えるほどのものであることを署名活動をして主張する、もしくは教育委員会にこの件について学校側の対応が正しいのか判断してもらう、と提言した。
権力濫用にも近い、行き過ぎた雅子の言動に学校側は慌てて対談の場を設けた。
今度は校長、副校長も出席した。
そこで早坂先生が来年度からワタルの学年の担任を外れることが正式に決まった。
雅子は勝利した。
自分の正義が勝利した瞬間は快感が止まらなかった。
帰宅後、さっそくワタルにそのことを報告した。
「キョウコ先生ね、来年はワタルの担任じゃなくなるんだって」
「え」
ゲームのコントローラーを置いてワタルが雅子を見た。いつだってゲーム中はテレビを見ながら会話するのに。
「僕、キョウコ先生好きだったんだけど」
「え」
沈黙が流れた。
「もしかして…ママのせいじゃないよね?」
雅子は次の言葉を必死に探した。
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