ぐるぐるまわる
「ぐるぐるまわる」
作 OnnanokO
初夏の暑い日。蝉が鳴いている。人通りが多いこの商店街にたくさんのカメラ機材がある。このカメラを機材を準備する人の中に綺麗に着飾った女性がいる。
「今日は笑顔で頼むよ」と清潔感のない男性がその女性に声をかける。
「はい、よろしくお願いします」と果汁100%ではないかというくらいフレッシュな笑顔が弾けた返答する。どうやら今回が初めてのレポートということで緊張している。横から出てきたマネージャーらしき男性が励ましているようにも見える。
周りがバタバタと動き出した。もう本番なのかもしれない。緊張と書いた薄いティッシュのような紙を中年の汗だくのおじさんがパンツ一枚でヒラヒラと辺りにひらめかせているようにも感じる。この表現は完全に主観である。
カメラが回った。
「今回ご紹介するお店はこちら」
とぎこちない紹介しながらとりあえず笑顔が弾けているこの女性が私だ。
私は「ハチダサヨコ」という名前だ。
テレビの業界では新人と呼ばれる部類で今日が初めてのレポートになる。緊張で視界が歪んでいる。どうしたものか。今撮影しているこのコーナーはどこかのお店に行き、そのお店のオススメの商品を紹介するというよくありがちな番組のコーナー。
今は「食べ物」をレポートする
【食レポ】というやつをやっている。
今取材しているお店の名前は「松」
見た目もすごく和の感じが漂う。高級感があるお店だ。
お店の人にお話を伺うと食材にこだわった「和風の料理」を出しているそうだ。予約がすごくて5年先まで埋まっているらしい。
番組的な段取りを対応していただけるお店の方に説明したあと本番の準備をする。カメラは回らないのでお品書きを見て、料理を待つ。
「良かったね。この店普通では食べれないと思うし、値段もすごく高いんだよ」
と清潔感のない男性が声をかけてきた。この男性はこのコーナーのディレクターだ。「そうなんですねー」と適当に返答したあと、お品書きを見ていると色々な種類の料理が載っていた。季節限定メニューなどもある。今から何を出してくれるのかすごく楽しみだ。
料理の準備が出来たようなので準備してカメラを回す。本番だ。
「ではお願いします」と私が言うとお店の奥から店員さんによって料理が運ばれてきた。
「お待たせいたしました。当店自慢のパンです」と言い店員さんが持ってきたのは大きな焼きたてのパン一斤だ。
パン、一斤だ。
パン、一斤だ。
一斤だ。
戸惑いはあった。が、その表情を一切見せなかった。ディレクターをチラッと見ると「食べて食べて」というジェスチャーをしていた。ここは和食料理のお店ではなかったのだろうか。お品書きにはパンとは書いてなかった思うがこのパンどこから出てきたのか。など色々な考えは現実世界では0.1秒にも満たなかった。私は決意して大きなパンをカメラの前で食べ始めた。食器が見当たらないためそのままかじりついていった。パン自体はもっちりしていて焼きたてなので風味も強くて美味しい。だが、なかなかコメントが言いづらいボリューム。それでも一生懸命咀嚼しながらコメントを挟む。
料理到着から30分が経過した。いまだに私は無心でパンを食べている。その間もカメラは回り続けている。番組自体は編集があるのでこの30分まるまる使われることはないだろう。
ふと、店内でお刺身を運ぶ店員さんの姿が見えた。他のお客さんの注文した商品なのだろう。焼き魚、煮物、蕎麦など様々な商品が目の前を運ばれていく。それを横目で追った。実際に目が私の顔から離れて目玉がその食べ物のところまで行ってこれでもかというくらい凝視していたかもしれない。「当店オススメの蕎麦です」なんて幻聴まで聞こえた。そんな状況でも私は大きなパンを頬張った。もっちりしていてなかなかパンが喉を通らない。咀嚼も辛い。いつのまにかカメラは回っていなかった。
「もう終わってくれ」などどそういった発言はない。発言はないが、空気的に私の食べ終わり待ちだ。
今の気持ち的にはできればこのパンを持ち帰りたかった。もうお腹はいっぱいで限界だった。でも持ち帰ることができなかった。先ほどダメもとでパンを持ち帰りたいと店員さんに言ったら
「持ち帰るのは絶対ダメです」と裏声で怒られたからだ。
怒られたことや店員さんが怖かったわけではない。店員さんの謎の裏声が怖かった。
私は昔、車に轢かれそうになったことがある。その時の車の運転手がとっさにブレーキかけたが、車のタイヤは無常にも滑って車の車体が私に向かってきた。その時運転手は何を思ったか窓を開けて
「私はブレーキをかけていまーす」と何故か裏声で叫びながらこちらに向かって来たのが印象的すぎて私は車ではなく、
裏声に轢かれそうになったと誤認識しているので今でも裏声が怖いのです。
そんな店員さんの裏声が怖かった私はなんとかパンを一斤食べ終わることに成功した。食べ終わったことに周りの感動はなくやっと終わったのかというそよ風が吹いた。すごくすごくすごくお腹がいっぱいになった。外に出ると清潔感のないあのディレクターがばたばたと駆け寄ってきた。
「ごめんなさい。このお店じゃなかったです。外観は似ているのですが隣が今日のお店でした」と言われた。
「あれ?」という文字が頭にポンっと浮かんだ。明らかに蟹なのに「オイラはイカだ」と言われたくらい何も考えたくなかった。
「隣に行きましょうか」と選択権のない返答と圧力をくらった。
「はい、すいません」と謝らなくても良いのに謝る感じで次のお店に向かった。
お腹はもう限界の限界なのだが、仕方ない。まずディレクターがお店の人に間違えてしまっていたことを謝った。お店の方は優しい方で、快く許してくれた。何故か今一番旬のオススメを持ってきてくれるそうなので待つことにした。このお店のお品書きも見たがこちらのお店も和食でとても色とりどりだった。
「お待たせいたしました」と店員さんが笑顔で持ってきたものは焼きたてのパン一斤だった。
前世に幸せに暮らしていたパンの一家を突然襲って全滅させたのだろうか。何かの恨みがあるのだろう。何故、ここもメニューに載っていないパンが出てくるのだろう。
「こちらのお店のおすすめはこのパンなんですか?」とつい聞いてしまった。
「いえ、近くのパン屋さんのパンです。美味しくてつい。すいません」
“謝って済むなら警察はいらない”
この言葉は本当にごもっともな意見だと思う。ここのお店のものではなく、近くのパン屋でパンを買って提供するなんてどういう神経しているんだろう。理解ができなかった。
ディレクターの方をチラッと見ると「食べろ食べろ」のジェスチャーしていた。
私はまた一斤の食パンにかぶりついていた。食べ方はもう分かっている。ゆっくり食パンを食べていく。この食パンは何も悪くない。この食パンは美味しく生まれてきた罪のない食パンなのだと食パンへ憎悪がいかないように感謝しながら食す。
目の前を刺身盛りが通って行った。誰かが頼んだのだろう。
「こちら当店オススメの刺身盛りです」という幻聴すら聞こえる。それでも私はパンを頬張った。
収録は無事終わった。清潔感のないディレクターが来た。
「いやー今日良かったよ。打ち上げに一軒行くけどどうかな?」と言っていたディレクターの顔面に今は私の拳がめり込んでいる。しっかりと漫画でしか見たことない感じで拳がめり込んでいる。めり込んでいる系の漫画を描いている作者の方がいたらデッサンをお願いされるだろう。
何故、こうなったか。それは「一軒」が「一斤」に聞こえたからである。私の体がパンという食べ物を完全に拒否している反応であった。それにしてもいい天気だった。ディレクターの顔に拳がめり込んでいる以外は普通の晴れた日だった。
「私は悪いことしてしまった」
悪いことをすると謝らねばならないらしい。私は人より少し知名度があるので今日は会見というものを開いてたくさんの人に私の謝罪を見ていただく。
会見の場所に入る前にたくさんの報道陣がいる。そこを通らないと会見の場所へいけないのは気が引ける。
私が会見の場所へ向かうと同時に襲ってくるたくさんのフラッシュと飛んでくる大量のニワトリ。
「どういう気分ですか?」と記者に質問される。
「ニワトリがいっぱい飛んできました」
「はい? 具体的にお願いします」
「ニワトリがいっぱいが飛んできました」とさっきより強めに言うと言い終わる前に大量のフラッシュが光る。
「具体的にどういうことでしょうか」と違う記者が質問してきた。マイクを向けられたがマイクが近い。近いというか、もう顔に当たっている。というか当てているところが口ではなく鼻なので何がしたいのかよく分からない。この記者は私の鼻をもぎ取ろうとしているのだろうか。不思議で仕方がない。このままだとこのマイクに入る音声は鼻息でしかない。とか考えているとまた「具体的にどうニワトリなんですか?」と鼻にマイクを押し当てて聞いてくる。
「大量のニワトリが飛んできたでしょ。だからニワトリなんですよ」と答えるとまた別の記者が私の鼻にマイクを押し当てる。どうやら記者の人たちの中では私の鼻にマイクを当てるのがブームらしい。
「何故ですか? 何故ニワトリなんですか?」と鼻にぐいぐい押し当てながら聞いてくる。
「私も知らない。突然大量のニワトリが飛んで来ただろう。だからニワトリと言っているだけだ」と言うと
「謝罪してください」と違う記者に言われた。
その記者の手に違和感を感じた。よく見ると記者の手に握られていたのは明らかにフランクフルトでマイクではなかった。
「申し訳ないです」と私は即座にフランクフルトに向かって謝った。
「ニワトリみたいに謝れ」とどこからか野次がとんだ。
この野次に何て返すのだろうということに注目が集まり、たくさんのマイクが私の鼻に向けられた。
その中で頬がチクっとしたので見てみるとマイクではなく、ロボットのプラモデルを私に向けている記者もいた。
「ニワトリのように謝ってください」とフランクフルト記者に言われた。
私はニワトリのように謝れと言われたとおりに「コケんなさい」と私なりに考えたニワトリで謝罪をした。
「人間の部分がまだ残っているぞ。もっとやり切れ」とまた野次が飛んだ。
私はその言葉が悔しくてさっきよりも全力でただ謝罪とか関係なく、ニワトリと化した。コケコケと言いながら羽ばたいた。
その姿はもはやニワトリだった。汗だくになりながらニワトリとして躍動するその姿は周りの記者達を圧倒した。
その隙に会見の会場の中へ入り中央まで走ってなんとか壇上までたどり着いた。乱れた服を直し、なりきりすぎて生えてきていたとさかを取る。
会見の準備が整った。今から会見が始まるがカメラのフラッシュは光らず、そのかわり大勢の外国人が発音良く「Flash」と私に向かって大声で連呼していた。その中で「謝るな」という野次も飛んだ。
まず私は深々と頭を下げた。たくさんの「Flash」と言葉が飛び交う。
するとちょうど私がいる場所の足元に
「どうも床でーす」と書いてあった。私はそれを見て思った。これを書いた君とは友達になれそうだと。
「これは恋であるという確証はないが恋なのだろう」
何故かというと電流のようなものが体を走ったのだ。
最初は手に違和感を感じ、見てみると小さい何かが手の上にいて「走りまーす」と言った。
「あなたは何ですか?」と聞くと
「電流でーす」と何かは答えた。
「何故電流がここに?」
「ビビッと来たでしょ?」
「え?」
「だからビビッと来たでしょ?」
「何に?」
「恋ですよ。この人いいなぁと思ったでしょ?」と電流に言われた。
「恋なのかもしれない」と思った。でも本当に突然だな。恋ってものは事前に連絡はないのだな。「明日来るんで」みたいなメールを入れておいてくれてもいいものなのに。もし来た時に不在だったらどうするんだろう。不在票入れてまた後日来るのかな。
「恋っていうのは来るんですか?」と私は電流に聞いた。
「え?」
「恋です。恋は来るんですか?」
「いやー。恋さんは来ると思いますけど、別業者さんなんで詳しくは分からないですね」
「そうなんですね」
「あの。そろそろ走らせてもらってもいいですか?」
「はい?」
「いや、まだ。手の上なんでそろそろ体を電流が走りたいんですけど」
「あ、そうですね。どうぞ」と私が言い終わる前に電流が走った。
ビビビという単語は知ってはいたがこんな感覚だとは思わなかった。
「運命の人はビビビと来るらしいよ」
「何そのビビビって三人組?」
「違うわよ。ビビビってでんでん虫が走るのよ」
「でんでん虫? 結構遅いのが来るんだ」
「そうよ。でんでん虫が体を這い回るの」
「なんか気持ち悪いね」という会話を友達としていたのを思い出した。友達に伝えてあげたい。「電流だよ。でんでん虫じゃないよ。電流だったよ」って。
「終わりました」と電流が言った。
「一瞬なんですね」
「そうですね。どうでした?」
「あー。何か痺れました。足はまだ痺れています」
「そんなにですか。ありがとうございます。では私はこれで」
と去ろうとする電流に
「私は何故恋に落ちたのでしょう」と聞いた。
「それはわかりません。何か良かったんではないですか?」
「そんな曖昧でいいんですか?」
「いいんですよ。何回も来ますからね」
「え? 何回も来るんですか?」
「そりゃあ来ますよ。恋は何回もありますから電流である我々も何回も来ますよ」
「あ、そうなんですね。一生に一度だと思っていました」
「そんなわけないですよ。恋に落ちてからまた恋に落ちることだってありますからね」
「重複するんですか?」
「しますよ。でもあんまりオススメはしないですけど」
「何でですか?」
「自分が好きな相手に好きな人が出来たら嫌じゃないですか」
「まぁ。そうですね」
「だからですよ」
「あー」と私は納得した。
恋は突然来て、私達を狂わす。お騒がせなやつだということが分かった。気づいたら電流はいなくなっていた。そのあと私は恋が来るのを待った。だが来なかった。先ほどの電流により、足は痺れていた。そういえば私は誰に恋をしたのだろう。今日は今のところ誰にも会っていないのに。
さっきからずっと私はトイレにいて便座に座っている。足の痺れはきっと長時間座っているからだろう。たぶん便秘だ。便秘にビビビだ。
目の前に死体があって私の手には血の付いた包丁が握られている。探偵さんがやってきて私を指さして「犯人はお前だ」と言ってくれている。
嬉しい。注目されている。こんなに注目されること滅多にないからすごく嬉しい。
私は血の付いた包丁を手に小躍りをした。周りから凄い目線で見られた。突き刺さる視線。突き刺したのは私。ヌメッとした空気。明らかに小躍りは場違いだった。
少し冷やされた頭で考えて分かったことがある。私は犯人じゃない。私はただ血の付いた包丁を触りたかっただけだった。触ったタイミングで探偵さんが来て犯人だと言われたが私は犯人じゃない。
「私は犯人じゃない」と声に出してみた。
「俺が犯人だ」と私の言葉にかぶせるようにTシャツに血のついた男が前に出た。
「俺がそのハンマーで殺した」と男が言う。どうみても包丁だが。
「きえええい。ミーが犯人ザマス。ミーのこの鎌で殺したザマス」とカマキリみたいな男が前に出た。たしかに鎌に血は付いているが今この包丁で議論したい。
「私は殺されました。被害者です」と怪我をした男性が現れた。
「あんた、生きてるじゃん。何言ってんの」とこのカオスな空間を見た野生のリスがどんぐりを落としながらつっこんだ。リスが喋るのは正しくないがリスが言っていることは正しい。
この混沌の空間で唯一頼れる探偵に皆の注目が集まる。探偵は言った。
「じゃあ、じゃんけんだな」
皆でじゃんけんをした。カマキリ男が負けた。手が鎌だからじゃんけんができなかったからだ。
探偵が被害者男に聞く。
「コイツが犯人なんだな」
「じゃんけんは絶対なのでそうです」と被害者男は答えた。カマキリ男は嬉しそうだった。カマキリ男はパトカーに被害者男は自分の足で霊柩車に乗っていった。
「あーまだやりたいことあったなぁ」とぼやきながら被害者男は歩いていた。
「元気そうにみえるけどねー」と再度野生のリスが大きな声でつっこんでいた。まぁそういう日もあるだろう。
大きなパンを見て、あーと思うし。
ニワトリにFlashを連想する。
ビビビなんて便秘だし。
被害者は自分で加害者をじゃんけんで決める。
そんなことがそんな人たちの中ではぐるぐるまわる。消化できずにまわるんだ。
消化してもそれはまわる。
まわってきて、また迎えに行って
「ただいま」を「おかえり」で迎える。そんな日がまわることを願うし、まわれと思う。