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走馬灯だソーダ。

大きな総合病院。元気な人もそうでない人も行き交うのが総合病院。今日もバタバタわらわら。
ここの入院病棟の個室で窓の外を眺めているのが私。
毎日の日課ように主治医による診察がある。今日はどうですか?あーですか?とか色々聞く。いつものこと。いつもの診察。でも今日はいつも同じことを言う先生の顔が暗い。

「もう長くないですね」と先生は言った。

“絶望”
という漢字は書けるがどういう感覚なのか、絶望とは一体何色でどんな感触なのかどう動くのかというようによく分からなかったこの“絶望”をちゃんと感じた。
それからベットの上で
「あーもう私、死んでしまうんだ」という考えと同時に死にたくないなぁという思いが出てきた。
その時私はまだ生きていたいんだなぁと実感した。そして、今までの人生がたくさん駆け巡った。これが走馬灯というものだろう。

まだ私が入院する前。元気だった頃。
走馬灯というものが見たくて見たくて堪らなくなって色々なレンタルビデオ屋さんに行ったのを覚えている。
どこのビデオ屋さんにも走馬灯はなくて渋々店員さんに聞いてみると
「死ぬほどの思いをしないと無理だよ」
と言われたあとにD級映画と呼ばれる駄作の映画を勧められて
「これは観ていて死にたくなるくらい退屈な映画だから走馬灯見れるかもよ」と言われた。

家に帰って観てみたが、普通に面白く。
楽しんでしまったので自分の感性はズレているのかもしれないと頭を抱えたのを思い出した。

深い絶望感で、自分の人生が駆け巡った。たくさんの思い出が映像となって走り去っていった。
急に白い砂浜のイメージが出た。
どこまでも広がる白い砂丘。その砂丘には全身白いタイツのお爺さんが1人立っていた。お爺さんは私を見るとこう言った。
「急にね、背伸びをするとアキレス腱がねツる。ありゃあとんでもなく痛いってもんだぁ」
何もない砂丘。このお爺さんの声だけ響いた。お爺さんの手には太い人参が握られていた。お爺さんは私の視線が人参に向けられていることに気づき答えた。
「これかい。これは今朝とれた玉ねぎだよ」

「うぉぉぉい!人参だろ!!」とベットで叫んでしまった。日常で「うぉぉぉい」と言うとは思ってなかったのでそれにもびっくりしている。というかこれは何のイメージなんだ?これって走馬灯というのか?そもそも走馬灯って死ぬ直前に見るやつじゃないのか?死を宣告されてからじわじわ見るのはなんだ。これはなんだ。予告編か?走馬灯の予告編か?
また私は気づいたら思い出の映像の中にダイブしていた。
昔の記憶が流れ込んできて懐かしさが溢れる。こんなの見せられたら後悔しか残らない。まだ生きていたい。そう思った。

綺麗な海が見える浜辺。ヤシの木が一本生えている。そのヤシの木にものすごく顎がしゃくれている人がいる。しゃくれているのか下から何を掬い上げようとしているのか分からないくらいしゃくれている。そんな人がこちらを見ている。

「しんしゅんしゃんしゃんそー」
と言って微笑んだ。
たぶん「新春シャンソンショー」と言ったと思われる。手には太い人参が握られていた。もうこの件に関して深くは聞かなかった。

「なんじゃそらぁぁぁ!!」と叫んだ。叫んで戻ってきた。さっきからこの脳内映像はなんなんだ。走馬灯ですらないし、思い出にも存在しない。第一こんな思い出あったら嫌だし、思い出ではなくトラウマに近いものがある。
何故、私は急に脳内映像にダイブしてしまうようになったのだ。今の議題である。
走馬灯でもない。この映像は一体。
というか私はこの映像を見ている間気を失っているということになる。
気を失ってみる映像とは。診察の時に相談してみた。

「どうぞ」と言われて入った診察室はいつもと変わらないが主治医が海パンで小さなプールを足元に広げてその中に水を張って足を入れていた。
「暑いからさ」と何も聞いていないのに主治医が答えた。
診察で先ほどのことを聞いた。
「気を失って見る脳内映像なんてないよ。気のせい気のせい」と言った。
気のせいではない。体感している人がここにいるのに。
コイツは化け物が出た!と言っているのに気のせいと言い、化け物に襲われそうになったときに「いると思ったんだよな」というタイプではないだろうか。

嫌なタイプだ。

嫌な水着の柄だった。

水虫になれ。水虫になれあの足。クソクソ。

生い茂るジャングルにハンモックがある。そのハンモックにはすごくスタイルいい女性がいる。鼻が高くブロンドヘア。その女性はこちらを見た。
「塩化ポリエステル」
と吐息が多めにこちらに向かって言ってきた。

「んで、なんだ!なんなんだぁぁ!!」と叫びこちら側に帰ってきた。一体どうすればいいんだ。私は本当におかしくなってしまったのか。私はどうすればいいのか。意識がなくなって見るこの脳内映像は私をどうしようとしているのだろうか。病気なのか?そういう病気なのだろうか。

西洋風の洋館。壁にたくさんの絵画が飾ってあり、階段も大きく。舞踏会が開けるほどスペースがあるこの洋館。
この洋館の一角で紅茶を嗜んでいるのが私。紅茶を嗜むのが私の日課だ。
私の対面にいる彼が私のお茶会の相手だ。
「もう長くないね」と彼が私に言う。
「そうね」と私も答える。
いつも紅茶はティーパックでいただいてる。色々な紅茶を試したけれど結局ティーパックの紅茶に辿り着き、そして一番美味しい紅茶のティーパックの紐がとにかく長かった。机から地面に擦って、それでも余りある長さだった。
日頃からこの長さだけが嫌だ。優雅じゃないと言っていた私の悲願が遂に叶った。
それで彼は私に言った。
「もう長くないね」

「んっぱぁぁぁぁ!!」と叫び。私はまた戻ってきた。
今。
理解した。
私はこの現象を今。
理解した。
これは。

現実逃避だ。

ツルツルの坊主が言う。
「え、現実頭皮?」
私は坊主をハリセンで遠くへぶっ飛ばした。

現実逃避だ。
先生の「長くない」という一言で絶望になった私は生きるためにたくさん逃避をし始めたのだ。そうだ。だから脳内へ行ってしまうのだ。これは走馬灯ではない。現実逃避だ。

「そうか。そうか。うんうん」と私は個室のベットでうなづいた。たくさんたくさんうなづいた。じっくり落とし込むために。自分に理解させるために。たくさんうなづき落とし込んだ。

今日も総合病院は忙しい。バタバタと。
でも今日は私の気持ちも同じくらい忙しい。

ワタワタと。

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