「生きぬならイヌ探せ」
今日も朝がやってきた。どうやら世界の始まりらしい。
外に出るといつもの道を歩き、人混みの中を目的の場所まで歩く。
見上げると高いビルがそびえ立っている。
立っているのか見下ろしているのか太陽の光を一身に受けて反射している。
僕もそんな風に他からの視線を反射したいものだ。ありもしない視線を全部受け止めてこうなっているのは自分でも分かっているんだ。
気づいたらよく知らない雑居ビルの屋上に来ていた。
ここからは自分の住んでいる街がよく見える。足が震えている。武者震いか?違う。会社から電話だ。携帯を取り出して捨てる。
いつからだろうか。息を吸っても苦しくなったのは。
いつからだろうか。見える景色に色がなくなったのは。
いつからだろうか。どう終わりにするか考えたのは。
「凧になりたいって?凧って今飛ばしてるこれだろ。なんで凧なんだ」
と父が不思議そうに言う。
子供の頃少し広い河川敷でよく父と凧を飛ばした。
その頃は凧がものすごく自由に見えた。空を自由に駆け回っているように見えた。だから凧になりたかった。
ビルの屋上の端に立っている。意外と風が強い。
今日、ここから飛んだら凧になれるかもしれない。こんな日に限って空は澄んでいた。
「飛ぶんですか?」
と声がする方を見る。
屋上の隅の方に男が座っていた。
「飛ぶんですか?痛いと思いますよ」
とまた男が言葉を続ける。
「飛ぶ?何のことですか?」
とビルの端から降りる。
「今から自殺するんですよね」
「しませんよ。何を言ってるんですか?」
「え、でもビルの端に立ってましたし」
「端に立ちたい衝動が出まして」
「発作?」
「発作です」
と自分で言ったがそんな言い訳で納得してもらえるわけはなく少し無言が続いた。
「自殺するなら私は賛成だと思っていますよ」
と髪がボサボサでいかにも研究者みたいな風貌の男はそう言ってニコッと笑った。
「何故、自殺を良いと思うのですか?」
「だって、その人が決めたことだしその人が決断するのもかなり勇気がいることだと思うのでそれを否定する気にはどうしてもなれません」
「たしかに」
「それにもし、自殺したら私にその肉体をくれませんか?」
とまたニコッと笑った。
何を言っているのか理解ができず、言葉を返すことができなかった。
「私は真土めくる(マツチメクル)と言います。マドとでも呼んでください」
とボサボサの男は言った。
「神野巻(ジンノマキ)です」
と自己紹介で返すしかなかった。
「神野、じゃあゴッドですか」
「いえ、ジンノです」
「素晴らしい名前ですね。それでいつ飛び降りますか?」
「だから飛び降りませんよ」
「じゃあいつ人生に絶望しますか?」
と問いてくるこのマドという男のメガネの奥の目は光という言葉が存在しないような物凄く深い沼のようだった。
「いや、だから絶望しませんって」
「でもあなたはビルの端に立っていますよ」
と言われ、気づくとまたビルの端に立っていた。
「何故」
「何故ってあなたはそういう気持ちが奥底にあるんだ。だからそこに立っている。違いますか?」
「違う」
と言い、その場から離れようとするが離れることができない。足が地面にくっついているようだ。
「幸いにもこの星には重力という力があります。なのであなたはそこから飛び降りることで自動的に地面に向かうことができます。なんと、便利なことでしょう。それで終わりです。でも幸運なことに私がいるので始まりでもあるのです」
とマドという男はにやりと笑った。
「さぁ飛んでください」
とマドが言葉を続ける。
「嫌だ」
「じゃあ何故、ここに来たのですか。先ほどあなたには覚悟があった。今日をここで終わらせる顔をしていた。なのに何故、今になって躊躇しているんですか」
「分かりません」
「怖いんですか?」
「怖くはありません」
「じゃあ逝ってください」
とマドという男は私にどうぞという手の仕草をした。その手に視線を移すと吸い込まれるように私の体は体勢が崩れてビルの端から足を踏み外しそのまま落ちていった。
落ちた直後は落ちていると思っていたが落下の最中は落ちているのか静止しているのか分からなくなった。その時間は一瞬で一生だった。
地面についた。どーんとして痛みなのか何かはあった。かろじて意識はあったが体はまったく動かせなかった。
地面に倒れている私に先ほどのマドという男が近づいてくる。
「あ、どうも。ひどいもんですね。でも今からです。またあとで会いましょう」
とマッドが言った言葉を最後に私の意識はなくなった。
目が覚めた時にはどこかの部屋で寝そべっていた。固いところで寝ているようで背中が痛かった。
起き上がり周りを見ると何かの処置室のようだが薄暗くお世辞にも綺麗なところとは言えなかった。
「お目覚めですか!」
とマドが興奮して近づいてくる。
「ここは?というか私は飛び降りましたよね?」
「そう。あなたは飛び降りました。そして、死んで。今、生き返りました」
と笑顔で話をしながら私の身体の隅々をチェックする。笑顔が慣れないのか歯茎が唇に張り付いていてうまく笑えていない。この男はどれだけ笑っていないのだろう。
「生き返りました?どういうことですか?」
「そのままの意味です。生き返ったのです。正確には僕に生き返らせてもらったのです」
とマドはなんだか嬉しそうだ。
「ではあなたにはお願いしたいことがあります!」
とまた一段階テンションを上げてマッドが言う。
「私の犬を探してきてください!」
と言いながらマドは大きなホワイトボードを回転させた。そのホワイトボードには大きな犬の写真が貼ってある。
「この犬を探すんですか?」
「そうです。この大型犬。名前はヘンダーと言います。この変な見た目の犬を探して来てください」
と言うが写真の犬はいたって普通の茶色の毛並みの大型犬。変なのは飼い主の方だと思うが。
「逃げてしまったのですか?」
「いえ、消えてしまったのです」
と言いながらマドはまた下手な笑顔をしていた。
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