「コピーを取ってこい」と指示だけするより、この面をこうして、ホッチキスはここに留めてと、行動を見せるほうが能力は爆上がりする
いわゆる天才と呼ばれる人種は、自分でやる分には完成度や再現性は高いが、相手へ教えるのは得意ではない。
それもそのはず、教えるための
言語化は高度な技だから、である。
例えば自分の再現性でいうと、喉が乾いたから目の前の麦茶に手を伸ばし、そして飲む、という行為はたいていの人間にはさほど難しいことではない。
自分の体を、自分の脳が思う通りに動かすだけだから。
まったく同じ行動を「身長も体重も異なる」「指の形も異なる」他人が100%精密に再現するとなると、難しい。
たとえば言語化でいうと、「お菓子」という言葉ひとつとっても連想されるものは人によって分かれる。
洋菓子 クッキー、チョコ
和菓子 まんじゅう、せんべい
「あの棚にあるお菓子取ってきて」
欲しい:クッキー
棚:クッキー、チョコ、まんじゅう、せいべい
渡された:まんじゅう
「ちがう。なんでお菓子も取ってこれないんだ」
「遅い。今すぐ食べたいのに、なんで30分もかかるんだ」
私の考えてることを察して文化の根付く日本では、ことさらにこのようなことが起きているかもしれない。
「これ、コピー取って」
「なんでこんな仕事もできないんだ」
それはお前の教え方が悪かったのに、他責にするな。
こんな上司は、そこら中にいるだろう。
言語化するというのは難しい。
だから、自分が伝えたいことを小学生にも分かるように言語化して教えることができないということは、お前の能力の低さではあるが、言語化とはそもそもが難しい高等な行為なので、できないお前が悪いわけではない。
そして、自分でメモするやり方も、主観が入ってしまうと大事な事実が抜け漏れたり、ねじ曲がってしまう可能性がある。
だから、行動そのものを見せるのだ。
そうするためには、教えたいことを一度お前がやって、その行動そのものを動画に撮るのだ。
今の時代はみんなスマホを持っているので、簡単で確実だ。今どき赤ちゃんでもできることを、お前ができないとは言わせない。
江戸時代でもあるまいし、いい加減、言語化できない能力は認めて、動画に頼ろう。な。
それでも「コピーも取れないのか」と悪態をつくのなら、悪いのは叱られているほうではない。
責められるべきは、下手な言葉らしきものだけを怒鳴り散らして、教える行為をしないでいるお前だ。
ここまでが、生まれてからずっと「要領が悪い」「なんでこんなことも出来ないんだ」と人間失格の烙印を押され続けてきた、わたしの憎しみを綴った文章だ。
だけど待てよ?
わたしにも出来ることはあったのに、出来ないことがダメなことなんだと、他人の決めた価値を信じて、人間失格を受け入れてしまっていたのはわたしじゃないか。
今日まで、頑張ってきた。
おつかれさま。
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