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エラーを起こす人は悪なのか?
1人で法人を運用してきたときの話。
これからどう事業を拡大しようかと思いながら、
さまざまな人の元を訪れ
さまざまな学びを得て、
さまざまな知識を吸収してきた中で
事業拡大に必要なのは組織化であると判断し、その覚悟を決めることにした。
年末から準備し、1月より徐々に人を増やし、今月さらに倍増した。
来月には2桁のチームとなる見通しだ。
こんな私の事業に、人が集まる。
感謝と身震いが同時に来る。
不思議な感覚だ。
人が増えることの問題
人を増やすと何が起きるかというと、「エラー」だ。
人間は必ず「エラー」を起こす。
このエラーをどう捉えるかという視点について、今日は話そうと思う。
エラーはどうして起きるのか
基本的にエラーがないことはあり得ないわ。どんな状況下でも起きうるものがエラーなのだ。
そしてエラーが起きた時に
「申告しやすい環境」
「改善しやすい環境」
を作ることが、代表としては必要になると考えている。
ヒューマンエラーは存在しない
あるのはシステムエラーだ
この言葉がまさに真理だと思う。
人的なミスよりも、人的ミスを起こさない仕組みをいかに作るか。
ここが最重要だ。
「気をつけます」
このセリフは罠だ。気をつけたって起きるのがエラーなのだ。
チームの誰かが「気をつけます」と言った場合や、自分自身がその言葉を口にしたときは、罠だと思って言い。まず解決するべき場所だ。
いくら気をつけても、絶対にミスは起きる。そのミスが積み重なると、取り返しのつかない膨らみとなることもあるだろう。
だから、エラーは小さいうちから摘み取り、回数が減らずとも、積み上がらない工夫が必要である。
なぜそのエラーが起きたのか。
エラーを繰り返さない工夫は何か?
そもそもそのエラーを根本的から見直せないか?
など多角的に見ていく必要がある。そしてそれを一つずつ解決してくことで、小さなエラーが積み上がらないようにしてくのだ。
そういう考えで事業を営む中で、私が「この人とは一緒に働けないな。」と思う条件がある。
エラーを起こすことは悪か?
エラーを起こす人と働けるか?
私は働ける。
エラーは決して悪ではないからだ。
そしてそもそも、エラーを起こさない人はいないからだ。
罪を憎んで人を憎まずという通り、エラーを起こした人が悪なのではなく、エラーを起こす環境が悪なのだ。
しかし、それでも「この人とは一緒に働けないな。」と思う人がいる。
それは、エラーを起こす人ではない。
システムを拒む人だ。
エラーを起こす環境改善やシステム変更に、付いて来れない人だ。
そういう人と働くのは難しい。
特に、自分の私利私欲のためにシステム化したくない、と考えている人は絶対に難しい。
システム化することで、自分の都合は認められなくなる。自分にとって都合の良いことを許される事もない。また都合の悪いことに目を瞑ってもらえる事もない。
よく言えば自由気ままな、悪く言えば自分勝手な働き方を好む人にとって、システム化というのは非常に都合の悪いものだ。
その仕事は誰のためか?
仕事をする上で忘れてはいけないのことがある。それは「誰のための行動」なのか?ということだ。
自分のプライドを守ったり
自分の利益を優先したり
自分の感情で判断したり
それは確実にヒューマンエラーを引き起こす。
そしてそういう人は、そのエラーを再発させないためのシステム作りに応じないので、組織としてはダメージを受ける。組織がダメージを受けるということは、その事業を、必要とする人、届けたい相手へ届けることができなくなる。
なので事業を営む者としては、そっと、距離を取らざるを得ない。
人から距離を取られる人の中には、そういう人が多くいるように思う。
人を見る目
私自身、人を見る目があるのかどうかはわからないが、今事業を共にしているメンバーはいかにシステムに落とし込むかを、真剣に考えてくれている。
私の人を見る目がいいというより、みんなの視野が広いのだ。
共にする人の目が増えたことで、私の視野も広がったように思う。
自分の目を育てる。これも私のこれからの課題なのだと思う。
エラーはある。
今日もある。
明日もある。
でもエラーを起こした人に目を向けるな。
エラーを起こした仕組みに目を向けろ。
そしてその仕組みを共に作る人と、事業を歩め。