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つまみ食い上等 その9 エティオピア物語 へリオドロス 下田立行訳
4世紀の古代ギリシア小説。
訳者解説のおわりに「敢えて訳後の感想を述べるなら」とあるのに、胸をうたれた。
この小説が360年前後に完成したとすれば、それは392年、皇帝テオドシウス1世の勅令で、キリスト教がギリシア唯一の国家宗教とされるわずか前。その時期のキリスト教の広まりを著者がまったく知らなかったとは考えにくい。
「にもかかわらず、『エティオピア物語』にはキリスト教を暗示する箇所がまったく存在しない」。
書いてあることではなくて、何が書かれていないかによって、訳者は著者の思いをおしはかる。
訳者によると、それ以後の古代ギリシア小説はキリスト教の浸透とともにいわゆる聖徒伝におされ、急速に衰退していくとのこと。
「そうした流れのなかでヘリオドロスは理想化された古代、互いの存在を認め合う多神教の時代を回顧し礼賛する意味を込め、かつまたギリシアを中心とする古代文学への賛美の念を込めて、この小説を書いたように筆者には思えてならないのである」。
訳者のおっしゃる通りかはともかくとしても、この物語はキャラクターも筋もはっきりしていて、具体的な描写にリアリティが感じられるし、うまいなぁと思うところがあったり、読んでいて小説だなぁと楽しめる。
でも、とても昔の人の声で語られているのにふっと気づいてゾッとするときがある。古代ギリシアの復元楽器の演奏を聴いて古代の音がそこに甦ったと感じられてゾッとしたときのよう。言葉が通じるからふんふんと話を聞いていたけれど、ちょっと待て、おまえどこから来たんや!?みたいな。
ああ、今の時代にもある「小説」なんだけど、やっぱりとても古い時代の、日本から遠く離れた土地のギリシアの小説なんだと思う。そのような古く遠い人の声を伝える翻訳に敬意を表したい。
訳者はこの翻訳を終えて1年もたたないうちに病気で急逝されたとのこと。経歴に1950-2003とあり、40代で亡くなられたのか、生きておられたら、ほかにも名翻訳をものされただろうにと惜しまれた。文庫化にあたって訳者校正にあたる作業をされ「文庫版付記」を記された中務哲郎氏は訳者の先輩とのこと。「君の思い出」「下田君に代わり」という語句が、この『エティオピア物語』がやはり、過ぎ去る時代を回顧、礼賛すると訳者が解釈したことに重なり合う。
岩波文庫 上・下巻で昨年2024年刊行。