先生と生徒との間にある「運命」
今年2回目の「総合的な学習」の授業をしてきました
校内での自然観察授業を行うために自分もそこに参加して合計4クラスの授業のお手伝いをしました。あくまでお手伝いですが、先生が直接授業することが難しい観察というテクニックと生態系の解説を私ともう一人の地元に住む生物学専攻だった人と一緒に、直接に子ども達に説明もしました。
そこで、ふと気づいたことが・・・
クラスによって子ども達の様子に明らかな違いがあったことでした。特にA先生のクラスは虫を顕微鏡で観察している最中から「キモーッ!」とか「俺マジ無理~ぃ!」とかキャーキャーギャーギャーと歓声が絶えないのですが、解説するときには意見とか感想が多かったのが印象でした。まあ、元気でうるさいクラスといった感じです。
一方B先生のクラスでは、観察中のキャーキャー完成がいくぶん静かで、私たちが説明するときの意見や感想もいくぶん少なめ。感想では「生態系を守ることは大事なことだと思いました」など包括的な事を言う子が目立ちました。
片やA先生のクラスでは「きのう家でママが虫を手でたたいて殺したけど、あれって自然を守るのに悪いことしたの?」とか、ダンゴムシは煮干し食べているとかいう直感的で目の前の事を言う子が目立ちました。
試しに「虫の生態系は人間生活に関係があると思う人は?」と聞いて、関係あるorない、を挙手してもらったら、A先生のクラスの子どもは「ある」が6割「無い」が4割と意見が分かれましたが、B先生のクラスは「ある」に全員そろって手を挙げました。
これは私が想像するにはA先生とB先生の教え方の差に何か違いがあるのではなかろうか?と思うのです
B先生のクラスの生徒は先生の教えることをよく聞いて理解して、もしかしたらその先まで考えているのかも知れない?とそんな気がします。実際「虫の生態系は人間生活と関係がある?」の質問は、生態系について学んだことがあって、自然保護に興味を持つ自分のような立場では、一般的に「関係がある」が正解で、そのように子ども達に受け止めて欲しいから、B先生のクラスの子ども達は全員「よくできました!」の花まるなのです。
ただ、なーんか自分としてはモヤモヤするももがあるんですね。なんでそこまで優等なの??って思っちゃったのです。
私はA先生とB先生のどちらの方が良いか悪いかと思う気は無くて、私が子どもだったら、どっちの先生に習いたいか、と考えたわけです。私の好みはA先生の方です。
A先生とB先生はともに今年の4月にヨソの学校から異動してきた新任の先生で、年齢もともに30歳ぐらいであまり変わりがなく、総合学習授業中での振る舞いや話し方もそう変わりが無いように見えます。でもクラスがこの4月に進級するときにシャッフルされたことから考えると、4月から5月のほぼ一か月間にもう子ども達の態度に違いが出ているように見えました。
多分ですが・・・
B先生は指導が丁寧で、導くべき方向に向かって生徒全員を誘導することに長けているのでしょう。
A先生は子ども達のそれぞれに自由を大きく許容しているのではなかろうか?と見えます。
実は私の幼い頃にはA先生タイプの恩師に教わったおかげで、今の私が出来上がったような気がします。その恩師に教わるまでの小学校生活では私はダメ男の一種だと評価されていていましたが、その恩師の授業は指導とか誘導ではなくて興味を持たすとか、そそのかす、みたいなことが多かったので、ダメ男の私もそれなりに伸びたと言えます。少なくとも理科への興味はその恩師の先生に教わった1年間の後にはグンと伸びた?というより「俺は大きくなったら技術者になるぞ!」と思うところまで思い込みました。
おそらくB先生の方が学習という意味では良いのでしょうか。なんだかそういう気がしますが、私の好みはA先生の方のクラスのムードです。
でも、AがいいのかBがいいのかは、一概に決められるのではなくて、その子がどっちの先生のクラスムードが向いているのか、という個性とのマッチングではないかという気がします。私は上述の恩師の先生に出会ったから救われたのでしょうけど、もし出会わなかったらその先まだまだ沈んでいたでしょう。
どの先生のクラスになるかは選べないし、選べたとしても何を基準に判断するかまったく分からないでしょうから、まさに「運」とか「めぐり合わせ」だと思います。
そう思うと授業は難しいなぁ・・・
と思います。先生ではないけど、時として子ども達に教えている今の立場では、いろいろな個性、というか、いろいろな適性があるのにそれに気づくことができるだろうか?とすごく気になってしまいます。
今月の小学校の総合的な学習の授業では、そんなことを思いました。