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子どもの「目」に突き動かされて、生きもの観察会

先日、近くの小学校4年生を、授業として近くの小川に案内して生きもの観察会をしました。このような地域の生きものを観察する「探検隊」授業は、私の住んでいる市も後援していて、今回の授業は市にもお世話になりました。市にはいろいろ不満も多いけど、これはイイネ!

私は幼少時代に「昆虫少年」だったので、このような生きもの観察会をするのは楽しいです。それに、最近はあまり学校や家庭で川や原っぱに行って虫や魚を捕まえるっていうことは少なくなったのか、終わったら「楽しかった、またやって欲しい!」とお礼いっぱい言われますから、そういうのも嬉しいです。

だけど、自分が楽しい思いをするとか、お礼を言われることが自然観察をこれからも続けよう!と思う自身の原動力になっているわけじゃないんです。突き動かされるような原動力になっているのはもっと別にあるんです。

今回の川の生きもの観察で、何人かの子どもに「これは何? どういう虫なの??」といっぱい質問を受けました。当然全部には答えられません。中には私がまだ魚類の知識が浅いことを見抜く子もいて「おっちゃん、あんまり魚のことは知らない?」と言う子もいます。以前の別の小学校でもそうでした。

ただ、そうやって生きもののことを根掘り葉掘り聞いてくる子の目は真剣で、なんか必死なものがあるような気がしてなりません。昨年も授業が終わった後の質疑応答で「これから、もし何か聞きたいことがあったら、どこに行けば質問できますか?」って先生に質問していた子がいました。

こういう子ども達の様子を見ていると、興味があるのに、面白そうだと思うのに、その先だれにも尋ねられず、このまま普段の勉強に埋没して行くしかないという残念な思いを子ども達が感じているのではないか?と私は思うんです。

興味があっても、まだ小学生の4年生だから、どうやって掘り下げて調べていいのか分からない。先生も親もよく知らない生きもののこと。インターネットで調べようにも名前も分からないから取り付く島もない。そんな状態で、たまたま今日の自然観察で、知っていそうな人に出くわした!ここで見つけた興味の糸口を今日こそは何とか次につながるように教えてもらおう! だからあんなに真剣な目をして、何度も何度も聞きに来て、次に来るのも楽しみにしてくれるようになっているのではなかろうか?

もし、そういう子どもの「知りたい欲求の糸口」を次の「自分で調べられる」に移行させる助けができたならば、もしかしてその子は、大袈裟だけど、将来の進路や目標が見つけられるのかもしれない。もしその助けができなかったら、特に何も興味の無い、いったい自分は何をしたいのかよくわからないようになりやしないのか。そんなことを私は想像するようになりました。

自然観察は、たまたま私が得意なのですが、子ども達の興味の対象は千差万別、芸術に興味がある子、料理に興味のある人、乗り物やスポーツなどなどいっぱいあり過ぎて、それらを学校の先生が子どもの興味を満足させるようにするのは実際上無理なのですね。だからたまたま得意な生きもののことで出くわした私とその子なので、この子を何とかしてあげたいと私は強く思うんです。

そういう子どもの真剣な目の表情に突き動かされて、それが学校でやっているボラ活の原動力になっているんです。

今回の観察会は、私はまだ魚の知識に乏しいので大学の先生にお越しいただきましたが、その先生を終了後に送って行く道すがら「・・・大学生に生きもの教えるんだけど、なかなか興味持ってくれなくてね・・・」と意味深なことを呟いていました。さらに「どうやったら学生に興味持ってもらえる授業できるかと、自費で調査に行って『これなら!』と思うテーマ見つけて来たんだけど、学生に説明したら『ふーん』とか受け流されて・・・せっかく自費でやったのになぁ」みたいなことまで吐露していました。

私もときどき、家でボラ活のことを考えていると、無償でやっていることに何だかやるせなさを感じることが多々あるんだけど、子どものあの目を思い出すと『おっちゃんが行ってしまったら、おれは誰にももう聞けないんだよぉ!』って言われているのを思い出すみたいで、

そのうち、そういうのは実は誤解だったのか・・・と分かるまでは、ボラでも今の生きもの観察会をやるんじゃないのかなぁ、と思います。

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