ボランティアの本質は「エゴイズム」
はいどうも。
当noteはyoutubeにUPした楽曲の解説を主目的としておるのですけど。
年始からエライ事が起こってしまい、目的外ですけど、ちょっと私からも一言申したいことがありますので、書かせて頂きますね。
実は私、数年間ですけど社会福祉法人に在籍したことがありまして。
ボランティア団体とか、NPOなんかを支援する団体なんですけどね(ちなみに、業界ではそういうのを『中間支援組織』といいます)。個々の団体と行政の橋渡しをしたり、まぁ、直接何らかの奉仕活動とか、そういうのではないですけど。
そんときのボスが、福祉・ボランティア業界でまぁまぁ名のある人でして。
どんくらい名があるかというと、NHK教育のソレ系の番組に講師としてレギュラー出演してたぐらいには有名。
そのボスから教えられたことなんですけどね。
ボランティアそのものに、無賃労働とか奉仕労働的な意味合いは、まったく無い。
そもそも、ボランティアって、原義は「志願兵」ですし。
語源はラテン語の「volo」って言葉で、「自発的に〇〇する~」というような意味です。
ですんで、「有償ボランティア」といって、しかるべき経費を頂く形のボランティアもあります(不当に儲けを上乗せしたりはしませんが)。
善意とか、善行というような意味も、まったく無い。
なんかね、ボランティアって「ええことしてはる!」みたいなイメージで捉えられますけど、本来的にはそうではない。「慈善」に関しては「チャリティ」という語を当てる方が近いですね。
当時のボスいわく
「だから、連合赤軍とか、テロ組織とかも、広い意味では『ボランティア』。」
そらそうですわね。もともと「志願兵」って意味だし。
ボランティアとは、自由意志に基づいて(営利ではなく)何らかの行動をすること。
これはね、ある意味で「エゴイズム」なわけですよ。
誰かに命令されるわけでなく、自分の意志で、自己決定して何かするわけですから。
エゴイズムだからヨコシマだとか、ゲスいとか、そういう事を言いたいんじゃござんせんよ。
誰かを助けたいとか、誰かの役に立ちたいとか、そういうエゴイズムがあってもいい。
善とか正義とかね、そういうことじゃなくて、「自分がそうしたいから」、その理由で他人を助けるのも良いではないですか。
ただね、そこでゆめゆめ、自分が「正義」とか「善行」だとは思って欲しくないのですよ。
人は、自分が「善」だと思った瞬間、すでに心の悪魔が住み着いている
そんぐらいの気持ちでいて欲しいのですよね。
なぜなら、「正義」「善」は暴走すると止まらなくなるから。
今この瞬間にも、スットコドッコイな議員とか著名人が自車で僅かばかりの「支援物資」をもって現場を混乱させに行ってるわけですけどね。
石川県公式で「素人単独ボランティアとか来るなボケ!」という意味合いのことをオブラートに包んで言ってたような。
本当の修羅場では、適正な訓練を受けていない「志願兵」は、足手纏いなだけなんですけどね。
なんでこんな現象が起こるかというと、たぶん、その人たちの中では自分の行動は「善」であり「正義」なんだろうな、と。
有象無象犇めくボランティア業界には、こんな人、ちょいちょい居ますよ。
足手纏いぐらいならまだしも、「争い」の原因になったりもします。
人それぞれの「正義」や「善」があって、時としてそれは衝突するものだから。
路上で喧嘩してる人とか、電話でものすごいまくし立ててる人とか、いるでしょう。
あれ、お互いが「自分こそ『正しい』」って思ってるから、止まらないんですよ。
それの大規模なものがテロだったり戦争だったり。みんなそれぞれ自分こそ正義だと思ってる。
そこでね、自分を正義だとか善だとか思わずに、自由意志で、エゴで動いてるんだ、という自覚があれば、多少は歯止めがきくと思うんですよ。
自分の行動原理が「エゴ」と自覚しつつ、なお傍若無人を貫ける剛の者は、範馬勇次郎ぐらいのもんですからね。
誰かを助けることによって、「自分が」安心できる。満足できる。
そういうエゴ良いではございませんか。
個人レベルで「正義」を発揮しても、まぁ、ちっちゃいトラブルぐらいで済むことが殆どですけどね。
でも、時としてそういう正義マンが「力」を持ってしまうことがある。
ヒトラーなんかもね、ユダヤ人を根絶することが「正義」だと信じてたんだと思いますよ。
宗教絡みの戦争なんかもね。一般信徒はさておき、指導者はそれぞれ「正義」なんでしょう。
これは、本当に怖い事です。
「力を持った正義マン」の恐ろしさは…
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「正義」「善」とは、「狂気」の一形態でしかない。
というのが私の考えです。
もうちょい事態が落ち着いたら震災後のボランティアに参加したいと思われる方もいるかと思いますが、できれば「正義マン」の闇に堕ちないで頂きたいと思うばかりでございます。
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