【特集 被害者を支援するー性暴力や性虐待を中心に】(遠見書房)を読んで
【特集 被害者を支援するー性暴力や性虐待を中心に】(遠見書房)を読了しました。これはインターネットに掲載されている『シンリンラボ』【特集】第14号(2024年5月)です。執筆陣は次の方々ですー信田さよ子(#00・01)、斎藤梓(#02)、泉さわこ(#03)、宮崎浩一(#04)、田中ひな子(#05)、新井陽子(#06)。いずれも性暴力や性虐待といった『暴力』に精通していると思える方々であり、私としては期待して全編を読みました。『いいね!』の一言で終わることも可能ですが、敢えて私なりに考えたことを整理していきたいと思います。
まず、執筆陣から見ましょう。宮崎浩一氏以外は全て女性です。これは何を意味しているのでしょうか。『女性が被害者、男性が加害者』に偏るかもしれないという懸念です。女性が被害者ですと、どうしても同性である女性が支援者になるケースは少なくないでしょう。特に、今回の特集は性虐待と性暴力ですから、どうしてもその組み合わせが多くなると予想されます。なので、『女性が被害者、男性が加害者』という偏った固定観念を読者に意識せずにもたらし得るでしょう。宮崎浩一氏がこの特集で『男性も被害者になり得る』と指摘していますが、それでも『女性が被害者、男性が加害者』という偏りは拭えません。
なぜ私がこんなことを書くかと言うと、私は男性でありながら、『暴力』加害者が女性であったからです。このことを私は『私の「トラウマ」体験』というnoteに書いています。ここには就労移行支援Sの交渉担当の女性支援員やクリニックでのセラピスト、ピアノ講師等が登場しますが、共通することがあります。それは立場的に私よりも強いということです。この3者の場合、私はそれぞれ利用者、クライエント、レッスン生と立場的には弱いと言えます。そうなりますと、『暴力』というのは一体何かという問いが出てきます。それは『立場的に強い者が立場的に弱い者を様々な形や方法で支配すること』と私は考えています。本来、立場上での関係は非対称(対等ではない)的です。立場的に強い側は弱い側を対等にする義務や責任が発生します。なので、強い側にはそれだけの制限や縛りがかかることになります。そう考えると、この3者は立場的に強い者ですから、立場的に弱い私を対等にする責任を負います。即ち、立場上では女性でも男性でもないということです。それをこの3者が自分たちは女性で男女平等だという前提があり、男性である私に関係していたのでしょう。ただ、結果的には『暴力(言葉による)』でした。これはこの3者が立場上の関係であり、そこにある非対称性を理解できていないことによります。交渉担当の女性支援員やクリニックでのセラピスト、ピアノ講師はその立場に見合った言動をする必要性があるのに、その線を超えてしまった結果が『暴力(言葉による)』なのです。
立場的に強い者、弱い者に男性女性は関係ないと私は考えています。だから、女性だけでなく、男性が被った被害も取り上げられなければなりません。その意味で、宮崎浩一氏が男性の性暴力被害という形で取り上げた点は評価しています。なので『女性が被害者、男性が加害者』だけでなく、『女性が加害者、男性が被害者』と捉えられるかが、今後の課題と言えます。ただ、男性が被害を訴えるには、様々な反発が出てくるのは必至です。それでも、私は今回の特集を含めた女性の被害に関する諸知見を応用しつつ、『私の「トラウマ」体験』というnote等で、自分の被害を考察し続けていきたいと考えています。
ここまで読んでいただいた方に心から感謝申し上げます。
参考文献:【特集 被害者を支援するー性暴力や性虐待を中心に】(遠見書房)http://shinrinlab.com/tag/feature014/(最終閲覧:2024年6月15日)