気の極々小さい親戚のオヤジPart13
気の極々小さい矢鱈気の強い、50代の始末に負えん親戚のオヤジは、恫喝がお好き。そのくせ相変わらず自分は弱々だと周りには装う。
リアルな自分は弱々だとね。家族の前では、借りてきた猫のようなのか? それも些か?いやいや可なり無理があるし、そう言う雰囲気でもないな、だってリベンジが好きなんだもん……
そう言えば、タクシーの運転手さんが返事をしないってキレてたっけ? これこそ正にリアルな恫喝でしょ!
他人には反社のような恫喝は平気。そうそう何処かの裁判官に被告が最後に言ったようなアレです。それが人となりなのだろう。
この社会で(特にSNSで)通用すると勘違いしてる、始末に負えん50代の親戚のオヤジです。やればやるほどそれは自分自身を蔑んでいる事に気がついていない、憐れな始末に負えん50代の親戚のオヤジです。
情けなくもあり悲しくもありです。
恫喝されて喜ぶ人間はいません。他人を傷つけて、オヤジ自身が楽しいのか?嬉しいのか?
一つ言える事は、やられた方は一生忘れないって事。デリカシーがないとわめき散らした事も同じだ。人としてもう少し勉強することだ。
殺伐とした言葉使いは、頭から離れ無いもんだ。一生ね。人間は弱い者です。その言葉が凶器である事も付け加えておこう。
他人の人生の中でオヤジの言葉は、リアルに生き続けるんだよ。
キレキレってダンスだけでいいんじゃね?
つづく
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『言うものは水に流し、聞くものは石に刻む』
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