【HSP】他人を嫌うなら覚悟と勇気を【INFJ】
人間が集まっている以上、多かれ少なかれ「好き嫌い」って生まれるじゃないですか。
この人はいい人だから好きだな、とか。
こいつは嫌な感じがするから嫌いだな、とか。
そりゃ生まれるでしょうよ。そういう感情自体を否定するつもりはない。
博愛主義者として名高いINFJやら提唱者型やらではあるけど、その博愛精神を他人にまで押しつけるつもりは毛頭ないワケ。
ただ。ただね。
言いたいことはここからなんだけど。
わたしのことを嫌っていようが生理的に受けつけなかろうが、それはいいんですよ。
ただ、それをわたしにも見えるように表に出すなって。
たとえば挨拶を無視するとか、話をしているのに視線を合わさないとか、何かを手渡しするときに乱暴に渡すとか、わたしより長いこと社会人やってるくせに子どもみたいなことをするなよって。
学生のころは社会人ってもっとしっかりしてるものだと思ってたけど、いざ自分がなってみるとしっかりしているやつだけが表に出てくるシステムだったことを思い知るんだよね。
わたしも含め、社会人ってけっこう適当なやつもいるなーって話。
マジで高校生みたいなことするやつもいるから……。
わたしの愚痴はさておき。
「人間嫌い」を自称している以上、当然人間関係の構築は得意じゃないのよ。
嫌いだから得意じゃないのか、得意じゃないから嫌いなのかについてはまた別の話し合いが必要になるんだけども。そこはいまはいいや。
いまの職場でもスタートダッシュをめちゃくちゃ失敗しているから、わたしの新人のころを知っている人間とは軒並み関係がよくないワケ。
挨拶しても無視するわ、うっすらナメが入っているわ、こそこそ陰口を言うわで、気分はよくないんですよ。
でもそういう明確な悪意を向けられても誰にも愚痴を言わずにニコニコしてきた。
それは、別にわたしが優しいわけじゃなくて、ニコニコしていないと職場での立場が危うくなるから。
で。
最近そういうやつらがどうしても許せなくて、同じことをやり返したことがある。
「やり返した時点でそいつらと同レベル」という有名な正論があったりするんだけど、そんな言葉を自分に突き刺す痛みよりも、不誠実をヘラヘラ笑って受け入れている自分のほうが痛かったから、今回ばかりは目を瞑ることにした。
ここからがおもしろいんだけど、そいつらはふだんはわたしの挨拶を平気で無視したりなんだり、わたしを悪く言ったりするくせに、わたしに同じことをされるとちょっとムッとするんだよね。
今度はそれを肴に悪口陰口が花開くんだ。
それって、どういうつもりなの?
今回はそういうお話。
あくまでわたしがその手の人間を観察したなかでの推察だけど。
自分だけが一方的に嫌っている、と思いがちなんじゃない?って。
いやあ、言語化が難しい。
自分は一方的に嫌っているけど、相手からは嫌われないと思いがちって表現すればいい?
これもわたしの推察だけど、周りの人間に敵意を見せる人間って、だいたい2種類に大別されると思うんだよね。
ひとつは、嫌いなやつからは嫌われてもいいと思っているやつ。
これは敵ながらあっぱれ。わたしもこうなりたい。この手の人間には逆立ちをしても敵わないので、物理的に距離を置くことで自衛をします。
もうひとつは、自分が見下している相手にしか敵意を見せないやつ。
わたしはこっちのタイプの人間が心底嫌い。
こういうやつに限って、わたしが反撃したり反論したりすると過剰に反応するんだよね。
ロジックは簡単だよ。
どれだけ敵意や悪意を見せても反論してこないと舐めきっているから、いざ反撃されたり反論されたりするとうろたえちゃうんだよ。
そいつからしたら、反撃や反論は完全に予想外の動きだから。
これは100パーセントわたしの偏見だけど、こういうやつはだいたい職場で群れている。
中学生じゃないんだから……。
いや、裏を返せば人間の仲間と群れる行為は、幼少期から大人になるまで変わらない本能的なものであるという証左になるのでは……。
だらだら愚痴を書きまくったけど、わたしが言いたいことは至極簡単なことでして。
つまり、他人を嫌うときは自分が嫌われることも考えてねってコト。
嫌われてもいいと勇気を持っていられるなら他人に敵意を見せてもいいけど、だいたいの人間ってその勇気は持ってないでしょ?
加害者になる勇気もないくせに、他人にあからさまな敵意を向けるなってハナシ。
ゆえにわたしの考え方では、限度はあるにせよ他人にどう思われてもいいと思っている人間が健全で最強なわけだ。
他人を嫌うのはいいよ。
ナメている相手に敵意や悪意を見せるのも、まあまあ百歩譲ってよしとしましょう。
だがしかし、その相手からも嫌われたり敵意や悪意を向けられたりするかもしれない、という想像もしてくださいね。
加害者になる勇気――嫌われる勇気がないなら、その敵意は表に出さないでください。
わたしがたまたま体調よくなくて、たまたまふだんは決して見せないイラつきとか敵意が、ひょんなところから漏れ出したとしましょう。
そういうときに、あからさまに傷ついたような顔をしたり、逆ギレチックに昂ぶったりするのはやめてくださいね。
おめーはいっつもわたしにそういうことしてるでしょうが。
切っ先が自分に向けられた瞬間、「やめて! 嫌なことしないで!」って騒ぐのはやめてください。
ね。
あんまりにも生々しい心の動きを書いてきたと思うんだけど。
まるでわたしが特定の誰かに対して、そいつらが絶対に見ないであろうnoteでめちゃくちゃこきおろしているように見えたでしょ。
実はね、違うんだよ。
これは、わたしからわたし自身への忠告。
「人間嫌い」が高じすぎて道理に反したことをしていないかい?
嫌いなやつに何かを言われていちいちへこむのも、他人を嫌うくせに嫌われる勇気がいまいち持てないのも、ぜーんぶわたしのハナシ。
ほんとうに人間が嫌いなのであれば、悪意を向けてくる人間のことなんかどうでもいいはずなんです。
「おまえ人間でしょ? おまえのこと嫌いだから近づかないで」
くらいのメンタリティを持っていてもいいはずなんです。
だけど、実際のわたしは全然違う。
嫌いな人間のことをずーっと気にして、言われたことやされたことをずーっと考え続けて、嫌いな人間に嫌われないように顔色を窺い続けている。
それって、わたしのためになる?
好きなものは好きと、嫌いなものは嫌いと、胸を張って言えるようになりたいね。
人間嫌いを自称するのであれば、嫌いな人間から何かをされてもムッとしたり悲しい顔をしたりしないこと。
人間を嫌うんだから、人間から嫌われる覚悟と勇気を持つこと。
そして、むやみに人間への敵意や悪意を見せないこと。
わたしに「人間を好きになれ!」なんて言わないよ。無理なことはわたし自身がいちばんわかっているから。
嫌いでもいいから、潤滑に人間社会で生活していく力くらいは身につけようね。
ゆくゆくは、他人からどう思われてもいいと思える強靭なメンタルを手に入れましょう。
他人のことが気にならなくなったとき、わたしはまた一歩強くなれると思うのです。
そのために、日々反省と学習でございますわ。
今回はこんな感じ。
ジメジメしたことばっかり書いていますが、乾燥が気になる季節になってきました。お仕事柄、手荒れがとんでもないことになっています。クリームや薬を塗っても、指先がガサガサになってスマホの指紋認証が反応しない季節です。
みなさま、よき人間関係の構築ライフをお過ごしください。