見出し画像

【HSP】社交辞令が苦手【INFJ】

社交辞令が苦手なんです。
言うのも、言われるのも。

もちろん、社会で出会う正直どうでもいい人間との円滑なコミュニケーションのために、社交辞令がとっても有用なものであることくらいは理解している。
わたしだって社会のすみっこで働いているから、苦手とは言いつつも社交辞令を使うことだってある。
でも、使っていて気分はよくないよね。
そういう社会人のコミュニケーションの基本が苦手っていうところも、社会不適合者っぽさを加速させているよね。
まあいいや。
あんまり自分と社会の相性について考えすぎると頭がおかしくなっちまう。

ということで。
今回は、社交辞令とわたしについて、勝手にひとりで考えていたことを整理していくよ。
お時間があれば、ぜひ読んでいってね。




まず、言うほうの苦手
長ったらしく理由を書いていくのが苦手だから、最初にはっきりわたしが出した結論を述べちゃう。

社交辞令を言うのが苦手なのは、ほんとうは思っていないことを言えないから

ちょっとだけ優しく言葉を選んだけど、要は嘘を吐けないんだよね。
これはね、わたしの幼少期と家族との関係の後遺症だと思っている。
物心をつくころから、両親はわたしに厳しく「嘘だけは絶対に吐くな」って躾けていたのです。
でも、子どもからしてみれば「なんで嘘を吐いちゃいけないの?」ってなるわけじゃないですか。
オトナになったいまでさえ、子どもにそう問われたら納得させられる答えを持ち合わせていないのに。
まあ、子どもが嘘を吐かないなんてできっこないのよ。
たとえば、ほんとうは宿題をやっていないのに「宿題終わったよ」とか言っちゃうし。
それがバレたときは、めちゃくちゃ怒られたものです。
外に締め出されるとか、晩御飯食べさせてもらえないとか、口を利いてもらえないとか。
そんな経験が長いこと続いたせいで、わたしは嘘を吐けない人間に育ってしまった

で。
社交辞令って、要は嘘なわけじゃん。
別に飲みに行きたいわけでもないのに「また飲み行きましょう」とか。
別に今後もお付き合いしたいわけでもないのに「次が楽しみですね」とか。
別に微塵もかっこいいとか可愛いとか思ってないのに「かっこいい!」とか「可愛い!」とか。
別に子どもの写真なんか見たくもないのに「新しい写真、今度また見せてくださいね!」とか。

「それくらい言えばいいじゃん」
「言うだけで関係が保持できるんだから簡単でしょ」
そうおっしゃる方々もいらっしゃると思います。

そんなの、わたしだってわかっている
心にもない言葉を適当に投げつけるだけで、相手との関係が保持できる。
それも、いっさいの労力も使わずに。
心にも思っていないことがすらすら口から出てくる人間っているじゃん。
顔色ひとつ変えずに、ぺらぺら言葉を並べる人間。
わたし、そういう人間にとても憧れている。ひどく軽蔑もしている。
わたし個人の物差しでそういう人間を推し測ると、そいつは平気で嘘を言える人間ってわけじゃん。

社会人になってから少しずつ訓練していって、いまでは社交辞令を少しずつ使えるようにはなってきたけど、それでもやっぱり心に1ミリも思っていないことは言えない
わたしの使う社交辞令には、最低でも1ミリは本心が混ざっていることになってしまう。
よくないよね。漬けこまれる隙なんだよね、こういうの。

わたしみたいな人間は、嘘を吐かないといけない場面では黙ってニコニコしているんです。
嘘を吐くくらいなら、黙っているほうがはるかにマシです。
ほら、言わぬが花って言うでしょう。
口は禍の元とも言うでしょう。
黙っていたほうがうまくいくこともあるんですヨ。




さて、次は言われるほうの苦手について。
これはね、HSPとかINFJとか他人のいろいろなことに敏い人間なら共感できるかもしれない理由なんだよね。

相手にとって自分が軽い存在だとわかってしまうから

自分でも気持ち悪いって思う理由。
わたしは人間関係において、相互のリスペクトを求める傾向がある。
出たよ。お得意の互酬性ですね。
わたしはこんなにあなたをリスペクトしているんだから、同じ質量のリスペクトが返ってきて当然だよね?」っていう考え方。
めちゃくちゃ気持ち悪いんだけど、これが巷に聞く「INFJは深い関係を求める」ってやつ?
なんやねん、深い関係って。

でもさ、これって裏を返せば「わたしが社交辞令を使う相手は、わたしが密かに軽んじている存在」っていう事実にもつながるワケよ。
自分の中でそういう等式ができあがっているからこそ、社交辞令を使われて自分が軽んじられていることに気づいてしまうから、言われるのが苦手なんだ。
よくありがちな「社交辞令を真に受ける」みたいなことはない。
なぜなら嘘だとなんとなくわかるから。
別にこれはたいしたことじゃないし、社交辞令のみならずいろんな嘘が飛び交う社会に生きている人間なら誰でも見抜けると思う。
でも、社交辞令を使われた時点でちょっとショックを受けるのも事実。

これって、わたしが心のどこかで相手と深くつながりたいと思っているからなのでしょうか。
深い関係を求めているの? わたしが?
さんざん人間嫌いを自称し吹聴しておいて
気持ち悪いなあ、わたし。




自らこういうテーマで自分を振り返ってみたものの、自分の中の「人間らしさ」を垣間見てしまって、めちゃくちゃ自己嫌悪に陥っている。
そういうものが気持ち悪いから人間が嫌いになったはずなのに。
それが、わたしの中にも存在しているなんて。
うえぇ。
感情のないアンドロイドになりたい。
今夜も強いお酒が必要になるかしら……。


今回はこんな感じ。おつかれサマー。
「秋深き隣は何をする人ぞ」なんて言いますが、このあいだ信号待ちをしていると、隣の車から爆音でHIPHOPが聞こえてきました。
なぜあの手の車からはHIPHOPしか聞かないのでしょうか。クラシックとかでもいいのに。
みなさま、よき深い関係ライフをお過ごしください。