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【HSP】友だちの幸せを素直に祝福できなくなってきた【INFJ】

目の前にそびえるアラサー山もぼちぼち頂上が見えてきた頃合い。
同じ山を登っていたはずの周りの人間は、どんどんと結婚したりお仕事で成果を出したりして、それぞれの人生が軌道に乗りはじめている。

わたしだって、アラサー山の麓を歩いていたころは、友だちの成功を素直に純度100パーセントで祝福することができていた。
そりゃね、若いころから付き合いがある友だちだから、自分のことのように嬉しいに決まっている。

でも、山の5合目にさしかかったあたりから、友だちの成功を素直に純度100パーセントで祝福できなくなっているわたしに気づいた
「あれ……?」と。
喜ばしいことのはずなのに、おめでたいことのはずなのに、なーんか心のどこかに小さな黒いシミが滲んでいる感覚。
友だちの吉報を聞いた直後は「おめでとう!」「お幸せに!」と満面の笑顔で言えるのに、いざひとりになると不安や孤独、なんなら焦りも感じてくる。
家に帰ってから、暗い部屋でウィスキーをちびちび舐めながら、
ああ、『いい歳なのに……』って言葉は、こういうふうにある日突然刺さるようになるのか
と、ひとり寂しく考えちゃったりする。

それって、なんで

親友のサクセスストーリーを聴くのがつらいというnoteの記事を最近拝見した。まさしく、この記事と同じようなテーマ。
「あるあるよねー」とスキのハートを飛ばしたわけだけど、しばらく経ってみると、どうして年齢を重ねると友人の幸せを祝福できなくなるのか、ちょっとだけ疑問に思ってしまった。
今回は、そんな心理の深掘り。

ここんところずっとヘラっててわけわからない記事ばっか書いてたけど、久しぶりにこうやって自分の心の動きを見つめる、わたしにとっては書いていておもしろいテーマを見つけられた。
嬉しいかぎりだね。
テーマ自体は不健全だけど。




今回はこのテーマで書くと決めた時点で、答えはなんとなくわかっていた。

ずばり、いつか自分にも同じ幸せが訪れると思いこんでいたから。

考えてみれば、そう刷りこまれてもおかしくない環境なんだよね。
両親はちゃんと結婚していたし、ちゃんとお仕事にも就いていて、子どもがひとり増えてもいいくらいの経済力があった。
親戚だってそう。同じように結婚していてお仕事をしていて経済力がある。
幼稚園、小学校と進学していっても、わたしの周りにはお仕事をしている両親がいる子どもたちが多かった。
冷静に考えればそうなんだよ。
子どもが成人するまで、結婚していなくてお仕事に就いていないオトナと出会うことのほうが少ないんだ。
教育現場に、その手のオトナの居場所なんてあるはずがないから。
だから、大人になれば、お仕事ができて結婚ができて子どももできる人生があたりまえだと刷りこまれてしまう。
「結婚するのがあたりまえ」みたいな風潮もそりゃ定着するでしょってハナシ。

社会に向いていないこんなわたしだって、幸いにもお仕事に就くことはできた。
みんな麻痺しているけど、これもひとつ幸せなことだと思う。
でも、あたりまえにお仕事にありつけたわけじゃない
どういう分野に就職したいかはっきりさせて、自己分析をして死にそうになって、履歴書を書きあげて、苦手な面接も練習して、本番に臨んで、やっとこさありついたお仕事なのだ。
お仕事を見つけるまでに、それなりの努力をしているわけ。
その努力のうえで、お仕事に就くというひとつの幸せを手に入れた。

するとどうだろうか。
「もしかして、幸せってそこそこ頑張らないと手に入らないんじゃ……?」という考えが、頭の中に浮かんでこないだろうか。
わたしには浮かんできた。
わたしのなかでは、恋愛や結婚もひとつの幸せと捉えているので、幸せとさせてもらうけど、そういった人間との深いつながりも、そこそこ頑張らなければ手に入らないとうすうす感じてきた。
何もせず待っているだけじゃ、幸せは手に入らないのよ。

ほら、だって「手に入らない」って表現しているんだよ? 自分から能動的に動かないと手が届かないわけさ。
何もしなくてもいいなら、そんな言葉で表現しないはずだよね。
幸せが訪れる」なんて待っているだけのわたしが、幸せを手に入れられるわけがない。
自分もいつか同じ幸せが訪れると思っていたら、実は幸せはそこそこ頑張らないと手に入らないと気づきはじめた
で、若さを失いはじめているから、幸せを手に入れる期限がどんどん迫ってきている。
これで焦らないわけがない
幸せになっていく友だちを表面では祝福しながらも、内面では「わたしそろそろヤバい?」と押しつぶされそうなくらい大きな不安に襲われている

これが、友だちの幸せを素直に祝福できない理由。
いまだからこそ、まだ幸せになった友だちや周りの人間を攻撃するようなことはしていないけど、この先ほんとうのほんとうに切羽詰まったときに、わたしがそんなことをする下品で嫉妬にまみれた人間になるのかもしれないと考えると、とても怖くなる。
どうでもいい人間ならまだしも、心を通わせた友だちの幸せはちゃんと祝福できる人間でいたい。
そして叶うならば、わたしも心を通わせた友だちから幸せを祝福してほしい。




まあ、わたしのいまの悩みは恋愛と結婚のことなんですけども。
周りがどんどん結婚していく。いっぽうでわたしは、結婚どころか恋愛の気配すらない。
結婚した友だちは、学生時代からのパートナーとか、社会に出てからマッチングアプリを使って出会ったパートナーとか、それなりに頑張ってパートナーを見つけている。

さて、人間嫌い口下手人間にとって、そのマッチングアプリなるものがどれだけハードルが高いか、同じような悩みを抱えているみなさまならわかってくれることでしょう。
そもそも「インターネットで知り合った人間とは出会っちゃいけません!」という教えが主流の時代に学生時代を過ごしてきたものでして、やっぱり恐怖心はある。
わたしたちがさんざん使っちゃいけませんと言われていた出会い系サイトは、いまでは名前を変えて出会いのツールとして使われているわけだから、時代は変わりましたね。

マッチングアプリを使うのは怖い。
職場はそもそも出会いの場所じゃない。
サードプレイスも持っていない。
マッチングどころじゃない。まいっちんぐ。
というか人間嫌いなくせにパートナーは見つけたいなんて、矛盾しているよね。

両親だって黙ってはいるけど、わたしの結婚については気になっていると思われるし。家族と出会うのも、親孝行のひとつではあると思うし。
うん。
学生のときみたいに、外見や性格だけでパートナーを選べないからね。
パートナー探しも慎重にならないとね。

こうやって慎重に戦況を見定めているうちに、ほんとうにどうにもなくなっちゃうんだろうなぁ……。

今回はこんな感じ。おつかれサマー。
すっかり秋めいてきましたね。わたしが住んでいるところは、夜はもう長袖じゃないと肌寒くなっています。
みなさま、よき出会い系サイトライフをお過ごしください。


※今回の記事を書くときに聴いていた1曲。
久しぶりに聴いた。