「よい問い」とは?

「哲学対話を取り入れた道徳の授業」における「よい問い」について考えてみます。
「よい」問いとは何でしょう?
自分で書きながら、「よい」って何?!と早速迷子になっていますが、今の考えを書いてみます。


哲学対話で取り上げる問いと、道徳の授業で扱う問いには違いがあります。

哲学対話では、生活の中で「あれ?」と不思議に思ったり、教材や素材をもとに「なんでだろう?」と疑問に思ったりすること、つまり、「子どもたちから自然と湧き出る問い」を取り上げて、みんなで話し合いながら考え探究していきます。
「宇宙ってどこまで広がっているのかな?」とか、「なんでおばけって見えないんだろう?」などの問いも、その対象に入ります。

しかし、「哲学対話を取り入れた道徳の授業」は、あくまでも「道徳」の授業です。
そのため、子どもたちが探究する対象は、道徳的価値を含むことが絶対条件になります。

だからといって、子どもの問いを「それは今考える問いではありません」と教師が決めつけていいのでしょうか?

子どもの問いは「答えを探究したい問い」であり、「みんなと話し合って考えたい」という対話への意欲を向上させる力をもっています。
内容項目に関連した問いかどうかも大切ですが、対話への意欲につながる「子どもたちから自然と湧き出る問い」であることも大切な条件となります。 

では、哲学対話を取り入れた道徳での「よい問い」とはどのような問いなのでしょうか?

私の考える問いの条件は5つあると考えています。
以下の①~⑤の条件を包含している問いが、哲学対話を取り入れた道徳の授業での「よい問い」と言えるのではないでしょうか。

①内容項目・道徳的価値に触れている
②子ども自身が興味をもっている
③自分では答えが「これだ」と確信していたり、「これかな?」と予想できたりしている
④ズレがある
⑤答えがひとつではない

①内容項目・道徳的価値に触れている
道徳の授業である以上、対話の中心は道徳的価値に関する話題である必要があります。
授業の導入で、教師が道徳的価値に関するテーマを提示し、「今日はこのテーマに迫っていきましょう」と方向づけることで、問いづくりの方向性も導くことができます。
 
②子ども自身が興味をもっている
「子どもたちから自然と湧き出る問い」を捕まえます。
興味をもっている話題が引き出せることが大事なので、問いの形でなくても「ここが気になる」という部分を感想で聞くのも方法のひとつです。
その感想に、「どうして?」という疑問文をつけ加え、問いの文にします。
 
③自分では答えが「これだ」と確信していたり、「これかな?」と予想できたりしている
答えが全く浮かばない問いは、対話の入り口となる問いとしてふさわしいとは言えません。
調べ学習とは異なり、対話を通して子ども同士が協力者となって探究していくため、全員が黙り込んでしまっては思考の切り口が見つからずに対話をすることも探究するもできません。
問いと出会ってすぐに自分の答えが浮かばなくても、対話を通して友達の考えを聞くうちに、「どの考えが答えなのだろう?」と気になり始める場合もありますが、「私はこう考える」「これなら考えることができそう」「この答えでいいのかな?」と、ある程度問いに対して見通しが持てることが大切になります。
 
④ズレがある
当たり前だと思っていたことが実は違っていたり、友だちも自分と同じ考えだと思っていたら同じ言葉を使っていてもニュアンスが異なっていたりするなど、対話をしてみたら答えと答えにズレがあることがあります。
「本当の答えはどうなのだろう?」と探究への意欲が増す問いといえるため、適していると言えます。
教材を読んで自分の経験や考えと比較してズレを感じる場合もありますが、対話が始まって友達の考えを聞くことでズレに気付く場合もあるため、問いづくりの段階ではズレがある問いかどうかは判断することはできません。
 
⑤答えがひとつではない
「答えがひとつの問い」とは、「はい、いいえで答えられる問い」、1+1の問題のように「正解がある、答えがひとつしかない問い」を指します。
哲学対話の醍醐味は、対話を通してさまざまな考えを知ることができる点にあります。
答えがひとつの問いの場合は、本やインターネットなどで調べたりインタビューしたりすれば正解を見つけることができるため、対話をする必要がなくなってしまいます。
「答えがひとつではない問い」とは、他の考えはあるかな?みんなはどう考えるかな?と自分の答え以外にも興味がわく問いを指します。
例えば、「うさぎの耳はよく聞こえるけど、何本あるのだろう?」という問いは、答えは「2本」であり、正解はひとつです。
しかし、「うさぎの耳がよく聞こえるのは、何のためだろう?」という問いの場合は、「きつねから逃げるため」「お母さんうさぎを探すため」と状況に応じたさまざまな答えや可能性が浮かびます。
さらに、「なぜ、今うさぎの耳について知りたいのか?」「聞くということは目で見ることよりも確かなのか?」「自分にとってどの感覚を信じるか?」「ある、いるとは何をもって判断するのか?」「おばけを見たと聞いたら、信じられるのか?」と、どんどん発展して「答えがひとつではない問い」の可能性が広がっていきます。
このように「答えがひとつではない問い」は、対話を通して思考しながら探究する問いに向いているといえます。
 

さて、以上の「よい問い」の条件はいかがでしたか?
皆さんの考える「哲学対話で道徳を」の「よい問い」とは、どんな問いでしょうか?

そして、「よい問い」の条件は、教師だけが知っていればいいのでしょうか?
問いづくりの段階で、それがよい問いかどうかを教師だけが判定し続けていけば、子どもは自分の「自然と湧き出る問い」を表に出そうとしなくなります。

そこで、「問いづくり開き」を行い、子どもたち自身も「よい問いとは何か?」を考える時間を設定します。
特に、⑤は問いづくりの段階で「これは答えがひとつかな?」と確認しあえるため、子どもたちにも詳しく説明しておくとよいでしょう。
ゲームを通して「答えがひとつの問い」なのか、「答えがたくさんあるかもしれない問い」なのかを見分けたり、作ったりする練習をすると、楽しく学ぶことができますよ。

今回は「哲学対話を取り入れた道徳の授業」における「よい問い」とは何かについて、でした。

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