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自罰としての筋トレのススメ

僕のYouTubeを見ていただいてる方はご存知かと思いますが、僕、鬼の様に筋トレやってるんですよ。でもね、もうなんの為にやっているのかわかんないんですよね。

昔は格闘技をしていて、それのパフォーマンス向上だとか、生物的に強くありたいだとか理由があって、その目的に沿ってトレーニングしていたわけですが、もう躁鬱が酷くなって格闘技のジムにも行っておらず、人混みだとパニ症気味になる為人が少ない深夜の時間帯にコソコソとジムに行き、シラフだと本当にぼーっとしちゃうのでカフェインを毎回1000mg近く摂取してオエっ!オエっ!と吐きそうになりながら、利尿作用で20分に1回はトイレで用を足しながらトレーニングをする。もうね、昔の様に漠然と人生が前進している様な感覚も無く、ひたすらしんどいんですよね。

でもやらないと言語化できない焦燥感に襲われるのでやる。この感情に当てはまる言葉は“自罰”しかないんじゃないかなぁと思います。

「うつ病は筋トレしたら治る
「リストカットをするなら、筋トレで自分の筋繊維を傷つけよう
みたいな平和ボケしたこと言ってるやつ大嫌いなんですよ。もうね、馬鹿かと。僕は完全鬱のままベンチプレス130㎏挙げますよ爆笑(まぁ誇れるような重量でもないのですが)200㎏くらい挙げればうつ病治るんスカね爆笑

筋トレというのは、体育会系部活の延長線上にあったりするものですから、金銭が発生しなければただの趣味なのに偉いもの、ストイックなもの、崇高なものという印象がついてしまっている雰囲気を感じます。

ジュラシック木澤というボディビルダーの方の言葉を借りると

トレーニングに興味がない人にすれば、2時間ジムに行く。2時間パチンコに行く。
全く一緒のことなんですよ。
トレーニングを頑張ってるからと言って一般の人から見たら、そんなんどうでもいい事であって……

と、金銭が発生しない以上本当にどうでもいいことと述べているんですね。
三島由紀夫という、小説家でありながらボディビルに精を尽くした方がいるのですが、氏も著書の中で

男の肉体は儚いものである。一文にもならないし、社会的には無価値で、誰にもかえりみられず、孤独で……だからこそ、私は筋肉に精を出しているのであります

三島由紀夫 不道徳教育講座 「肉体の儚さ」より

と、現代ではSNSの普及なんかで男磨きだなんだと持ち上げられてるコンテンツですが、本来は誰にもかえりみられない孤独なコンテンツだと述べているのです。

それじゃあ、筋トレを自罰の手段にしても良いじゃないかと。どうでもいいものなんだもの。

オーバーワークだの、適正重量じゃないだの、もう黙りなさい。私は筋肥大のためでも承認欲求のためでも無く、“自罰”のためにやってるんだと。スクワットをする時はベルトを3枚巻いて、ニースリーブは二枚重ね履きすれば身の丈に合わない重い重量を扱えます。え?筋肉に適切に負荷が乗らない?黙りなさい。私はそんな筋肥大だのSNS映えだのポジティブな動機でなく“自罰”のためにやっているんだ。

ベルトを2枚巻くと、ベルトが重なり合う部分が腹の皮膚に食い込んで真っ赤な痕が残る。ニースリーブを2枚重ね履きすると足が鬱血してくる。ディップスなんかで80㎏くらいの加重をすると加重ベルトのチェーンが太ももに食い込んで真っ赤な痕が残る。
それが、生きるに値しない僕を罰してくれている様に感じて楽になれるんです。

人生が前進することを望んでブロンODをするメンヘラがいますか?一時的な快楽を得ることと、破滅願望を満たす為にodするんでしょう?
私はブロンODするメンヘラと同じ動機でトレーニングに励んでいるのであります。

皆さんも、二日酔いで今にも吐きそうな状態で過酷なトレーニングをして、身体にダメージを与えませんか?きっと強烈な精神的エクスタシィを感じれると思いますよ。

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