自分に自信がない本当の理由
先日、またしても母親と喧嘩してから、いろいろ考えることがあり
ふとわたしは気付いてしまった
わたしは、相手に気を遣いがちで
自分よりも相手を優先しがちだ
他人軸なのは、それが楽だからなのだと気付いて
なぜそれが楽なのかと深掘りをすると、
自分の答えや意見に自信がないからだと知った
自分の意見に自信がないから
自分の発言に責任を持ちたくない
だから、逃げるように他人に頼っているのだと
それでは、わたしは自分になぜ自信が持てないのだろう?
これを考えた時に
転勤や離婚などを経て、自分から人が離れていくことが怖くなったからかなあ
というところで終わっていた
あるいは、
わたしとは真逆でハツラツとした妹の登場が
幼いわたしから自信を徐々に奪っていったのかとも思っていた
わたしは先日の母との喧嘩を通して、ある記憶を思い起こしていた
両親が離婚するすこし前(離婚はすでに決定していた)
わたしは当時小学4年生で、離婚のコンセプトをあまり理解していなかった上に
自分の両親の離婚を知ってもいなかったと思う
ちょうど読書感想文を書くことがあって、たまたま読んだ本の内容に離婚に関することが出てきたため、素直に”離婚はよくないと思った”と書いたのだった
それを見た母は「パパに読んでおいで」と読書感想文を彼に向けて発表するように促した
わたしが自ら進んでそれを読みに行ったのではない
わたしのその感想文の意図とはまったく違った、大人の事情を孕んだバックグランドを勝手に背負わされたのだ
別の記憶にこういうのがある
離婚が決まる前の出来事で、すでに両親の関係は破綻に向かっていたであろう時期のことだが
お酒を飲んで遅くに帰ってきた父が、母のいる寝室に戻るのを避けるために
わたしの眠っているベッドに入って寝ていたことが一度ある
それを知った母はわたしに「嫌だったでしょ?」「パパに言ったほうがいいよ」と、それも彼に言うように促してきた
これも、わたしの意思ではない
確かに、窮屈だったし夜中に起こされたので不快な出来事ではあったが
母親の意図は、わたしの少し嫌だった気持ちとは別のものだったに違いない
これらはいくつかある中でも極端な例で、すこしニュアンスも曲がっているが
何かにつけて「良かれと思って」なのだろうが
わたしに母の思う正解に誘導されることが少なくなかった
これを思い起こすきっかけとなったのは、今回の喧嘩にいたる一連の出来事にある
わたしが義理の父に宛てたLINEメッセージに対して
簡単に言えば「やり直す」よう言われたのだ
もちろんまさか母に読まれると思ってもいないもの、だ
さて、
そこまで悪いことだろうか?と思うかもしれないが
こういった些細な促しが、これまでわたしの心には
わたしのしたこと、あるいはしようとしていたことは
やり直す必要がある
という響きを持っている
今回のLINEメッセージで言うと
「送った文面見ましたが、やり直してください」
読書感想文の出来事で言うと、わたしが思うにmanipulativeで
うまいように利用された、そんな印象を持つ
なぜなら、わたしの意図とは反したものを背負わされたからだ
例え、それで父が離婚を思い留めたとしても
わたしの頭にはなかった意図を植え付けられたのだから
それはわたしの言葉や意思ではない
母親の意図を背負わされたのだ
こういう些細な誘導は、極端に言えばガスライティングに近く
徐々に「わたしの発言や行動はしょうもないので聞いてもらえるはずがない」
こういう考えへとシフトさせていくのだった
わたしが何かを言ったところで不正解に違いない
母が修正してくるに違いない
最初には抱いていなかった感情や考えへと
いずれ母が導いてくれるに違いない
きっとそれが正しいのだろう
わたしの考えなど、重要ではない
こんなに嫌悪感を彼女に抱いたのは初めてかもしれない
読書感想文のことは、絶対にしていないと言われた
悪気はないのだろう
確かに、良かれと思ってのことだろう
でもそういうわたしの理解のあるところや
やさしさを今まで何度と利用されたのだろう
わたしがナイーブすぎたのだろうか
今回ばかりは怒りがおさまりそうになく
(この一連の出来事を通して神経痛にまでなったのもある)
よほど奥の方にためた怒りがあるのだろうと理解した
わたしがどんな文面を打とうが
誰に何を言おうが
どう思おうが
母の”正解”とかけ離れていようが
修正される義理は一切ない
わたしの意見はわたしのもので
誰にも捻じ曲げられるべきではない
たとえそれで結果よくない方向に行ったとしても、
自分の発言や行動から起こった出来事を、自分がどうにかする責任があるし
そうやって自分の言動に責任を持つことで意思決定することに自信を持つ
自分に自信をもてる
失礼にも程がある母のこれまでの誘導を
わたしはいつか許せる日が来るのだろうか
それらの誘導を
何となく受け入れて生きてきた自分を許すのが先だろうか
知らず知らずのうちに自信を奪われた自分の幼心を癒すには
ためてきた怒りを涙と一緒に流すしかないのかもしれない
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