美容院で、失恋したあの日のことを思い出す。#かくつなぐめぐる
美容院にきた。ここにはいつも、いま一番、自分の中でイケている服装でくる。真夏のいま、白いTシャツはかかせない。ちょっとタイトな袖口に腕を通すと、ぷにぷにの二の腕が丸見えだけど、これも風鈴と似た夏の風物詩として受け止めることにしている。
目的は、髪を切るためだ。美容師さんに、肩につかないくらいの長さまで切りたいとお願いする。わたしは、少し前に失恋をした。
でも相手は人ではなくて、会社だった。
今年の4月、わたしはずっと好きだったファッションブランドの会社に入社した。
そのブランドから出る服のデザインが好きで、そして生産過程が好きだった。すべて国内で洋服を生産していることや、縫製をする方々にしっかりと報酬を支払っていること、売れ残り在庫を処分をゼロにすることなどが素敵だと思った。ここに入社したら、せっかく修行をしているし文章をかく仕事なんかもできたら……などと希望を抱いて入社日を迎えた。
自分が好きだった服が、300着ほどずらーっと並んだ部屋をいちばんに好きになった。社割で洋服を買ったとき、わたしもこの会社の一員になれたのだと感動した。隣の席のレイさんと仲良くなりたくて、ニュースサイトでみた新しく出たのMOWの話をしたり、一口サイズのスニッカーズをあげてみたりした。そのうち、休み時間にはいろいろ話すようになって、原田マハさんが書く小説のあたたかさを知ったのも、彼女がおすすめしてくれたおかげだった。
業務にも環境にも慣れてきた5月下旬、だだっぴろい会議室に、部署の全員が集められた。8畳ほどの広さに対して、7人ほどしかおらず、嫌でも緊張感がただよう――。
休憩時間になると、わたしはレイさんに話しかけた。
「コンビニ、行きませんか?」
普段、休憩時間は会社から外に出ないことのほうが多い。食事は、会社に行くまでの道で、すでに買ってきているからだ。レイさんもお弁当を持ってきている。この日だってそうだった。
だけど、どうにかして会社から出たかった。そして、きっとレイさんも同じ気持ちだろうと確信していた。わたしたちはさっきの会議で、会社から解雇を告げられたのだから。
外に出たわたしたちは、コンビニで食後のデザートを探す。アイスを食べようというと、レイさんは快く同意してくれた。
コンビニまでゆっくりきていたら、休憩時間があまり残っていないはずだ。スーパーカップほどの大きさは食べきれないかもしれないし……どうしようか迷っていると、レイさんがいう。
「ピノ、半分にしますか?」
「いいねえ!」
自分の口からでた咄嗟の答えに、ビックリした。レイさんはわたしよりも年上で、先輩だからだ。
だけどあまりに潔いタメ口で、わたしもレイさんも、ケラケラと笑った。こんな状況でも笑える自分たちを客観視して、余計におかしかった。
本当にびっくりしましたね、これからどうしますか、こんなにも急だなんて信じられない、などとひとしきり鬱憤を吐き出してから会社へと戻った。コンビニからの帰り道、夜はまだ涼しくて、半袖をきたレイさんは少し寒そうにみえた。
そんな、つかの間の逃避行のおかげで、この日は無事に定時まで仕事ができたのだと思う。
夜になると感情的になるのが人間というもので、案の定わたしも人間だった。この日の夜は、今日起こったことを振り返り、布団のなかで泣いてしまった。
あれから2か月がたとうとしている。美容院にきた。ここにはいつも、いま一番、自分の中でイケている服装でくる。真夏のいま、白いTシャツはかかせない。ちょっとタイトな袖口に腕を通すと、ぷにぷにの二の腕が丸見えだけど、これも風鈴と似た夏の風物詩として受け止めることにしている。
美容院にくるのは、ちょうど1か月ぶりだ。会社を辞めた直後、面接を受けるために髪色を暗くしにきていた。だから美容師さんは、わたしが会社を辞めたことも知っている。
「次の就職先がきまったんです」
目を凝らし、熱心に髪の毛を切ってくれている美容師さんに報告する。わたしは9月から、あたらしい職場で働けることになった。
今日ここにきたのは、イメチェンをしたかったからだ。
「失恋を早く吹っ切るために髪を切る」
美容師さんから見ればそういう意図でここにきたのだと思われたのかもしれない。けれどわたしは、ただ自分を変えるきっかけがほしかった。
大好きなブランドの会社にフラれてしまった自分から、少しでも変わりたかったのだ。
まあ実際は髪を切っても、突然なにかが変わるわけではないけれど。それでも今後の行動を変えるきっかけくらいには、なりうるのだと思う。
この出来事は、わたしの人生における観測史上最大の台風だった。台風が去った後、徐々に季節が変わっていくように、わたしも変わっていきたいな。
※「レイさん」は仮名です