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【SS】黙食

 思い起こせば三年前のランチタイムの時は、気の合う仲間同士や会社の同僚や先輩などと連れ立って近所のレストランや定食屋に行き、楽しくおしゃべりをしながら食事を楽しんでいた。至極当たり前だと思われた光景だ。もちろん、間にアクリル板というやぼったい透明な壁は存在していなかった。

 それが、あっという間に小さな小さな敵に汚染された状態が蔓延し、人々は防衛策に走り始めた。マスクをし手洗いを実施した。ところが、おしゃべり、せき、くしゃみなどの飛沫による感染が最も多いとその筋から発表され、飲食業界には激震が走った。一番感染のリスクが高い場所と指定されたからだ。

 このままでは、飲食業界は成り立っていけなくなる。人々の楽しみやストレス発散の場所もなくなってしまう危険が出て来た。関係する人々はいろんな対策を考えだした。アクリル板による飛沫拡散の阻止、換気による清潔な空気との迅速な入れ替え、テーブルや椅子を利用するたびに消毒、客も入店の際に手を消毒し体温を計測する。まるで、病院の無菌室へ入っていくような手続きを経て食事の場所に案内される。邪魔なアクリル板に迎えられて席に着く。一人ならまだしもカップルで入った時はアクリル板で遮られた関係となるし、小さい子供は理解できないので、アクリル板もおもちゃになってしまう。とても食事をする環境にマッチしているとは言い難い。

 そして究極は、人々のモラルに呼びかけた言葉だった。それが「黙食」。極力会話しないで食事を楽しんでもらおうという店側の苦肉の策だ。理解はできるし共感もできる。なのでできるだけ話をすることなく食事をするのだが、なぜか美味しく感じる度合いが下がってしまう。やはり、会話を楽しみながらの食事のほうが圧倒的に美味い。なので私は外食から遠ざかってしまった。

 そんな環境がいつの間にか、日常の姿に変わり、みんな当たり前だということで気にすることもなくなって来ている。同時に食事をする際のおしゃべりは若干復活して来ているようにも思うが。果たしてどの程度危険で、利用者や提供側はリスクを受容しなければならないのか、だんだんモヤの中に消えていっている気がして仕方ない。

 最近は、自宅での食事も黙食になっているなと、ふと思った。


#小説 #ショートショート #創作 #黙食

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松浦 照葉 (てりは)
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