器楽と声楽の楽譜の違い

当たり前だが合唱の楽譜には歌詞がある。

もちろん、学生時代に音楽の授業で合唱したことはあったが、その時はあまり気にしてなかった。学生時代は吹奏楽部に所属していたが、就職してからは長いこと音楽から遠ざかっていた。

久しぶりに音楽をやろうと思い立ち、まぁ楽譜は読めるから合唱でもいけるやろ、と思って合唱団の門を叩いた。移動ドでソルフェージュはある程度できたのだが、このときにはじめて、歌詞も一緒に読まないといけないことに気づいた。

吹奏楽では歌詞がないから音符だけを追ってればよく、他の場所も見るという習慣がなかったので意外と大変だった。

視野を広げるか、音符と歌詞を交互に読むかしかないのだが、歌詞というのは音符から結構離れた位置に書かれることもある。歌詞が4番まであれば4段で書かれるから、例えばテノールの4番の歌詞はバスの音符の方が近かったりする。

もっとひどい場合だと、例えばソプラノがメロディ、バスがベースラインを歌っていて、内声(アルトとテノール)が仲良く同じ動きをしていると、アルトにだけ歌詞が書いてある、ということが稀にある。テノールを歌っているといきなり歌詞がなくなるわけだ。

もちろん音符は存在しているので歌わなくていいということはなく、慌ててどこだどこだと歌詞を探すことになる。探すのに時間がかかると拍を数えるのがおろそかになって、結果、墜ちる(どこを歌ってるか分からなくなって歌い続けられなくなる)。

こういうケースに視野を広くして対応するのも限界があるし、音符を先に追っていれば歌詞が分からなくてもラララとかドレミでごまかせるので、とりあえず音符を先読みしてから、歌詞をゆっくり探すのがいいように思う。

歌詞があることで、他にも小さな違いがある。これも現役時代は全く気にしていなかったのだが、合唱を本格的にやるようになり、ある楽譜を見ていてちょっとした違和感を感じた。何だろうと思うと、強弱記号がなんか窮屈そうである。

変な楽譜だなー、と思って、次の楽譜を見ると、これもやっぱり窮屈そうだ。変な楽譜が多いなー、と思っていると、そのうち、どの楽譜も窮屈そうに書いてあることに気づく。

何で窮屈そうに見えるかというと、合唱の楽譜は強弱記号が音符の上に書いてある。つまり、一番上のパート(ソプラノやトップテノール)以外は上のパートの歌詞と自分のパートの音符に強弱記号が挟まれた格好になっている。音符と歌詞をなるべく近くに配置しようという配慮なのだと思う。

音符が五線の上に飛び出すと強弱記号は居場所がなくなって、松葉(クレッシェンド・デクレッシェンドの<と>のこと)なんかは斜めに書かれてたりする。元々斜めの線なのだが、ナナメ具合が松葉の上下でバラバラ。

吹奏楽では強弱記号は音符の下に書いてある。歌詞もないからゆったりと鎮座していることが多い。

合唱団に入ったばかりの頃は強弱記号を見落とすことも多く、まわりが突然小さい声になったのに自分だけfのままで、大変恥ずかしい思いをして気づいたりしていた。ただでさえ歌詞で必死なのに、上下反対側に書いてある強弱記号にまで気がまわるわけないっすよ。

ちなみにピアノ譜はというと、だいたいは右手と左手の間に書いてあることが多いようだ(ピアノは弾けないので…)。発想記号やテンポ関連はどちらも上に書いてあり、ピアノの場合は一番下はペダル記号が占有している。

吹奏楽と合唱ではもうひとつとても大きな違いがあるのだが、それは次に書くことにする。

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