戦う相手は自分の心
ついに臨月、正産期という時期に入り、もういつ生まれても大丈夫。
周りの経産婦さんからは、「臨月はお腹がすっごく大きくなって、重たくなって、動きにくい、トイレも近い、眠れない、、とにかくしんどい」と聞いていたので、覚悟していたが、ありがたいことに聞いていたしんどさはまったくない。
ふいに足の付け根がツンッとつりそうになるくらい。
結局、「人による」ということなのだろう。
ネットにはたくさんの情報があふれていて、調べたらわかることもあるけれど、必要以上に情報をかき集めて不安になる必要はないんだなと学んだ。(と、言いながら、この妊娠期間、いや、妊娠前から調べまくって、安心したり不安になったりを繰り返していたのも事実だ)
そんなわけで、つわりの時期を抜けて以降は、精神的にもず~~~っと穏やかに過ごせているが、それでも感情がゆらぐことだってある。
当たり前だ。
でも、そんな気持ちを外に出しちゃいけないんじゃないかと、noteには書いてこなかったが、それをどう乗り越えたかも含めて書けば、将来この記事を読み返したときの自分や、この記事を読んでくださった方に少しでも力を送れるのかも・・と思い、やや久しぶりにnoteを書き始めた。
最近感情が乱れたことは、母とのやりとり。
ほんと、なんでもないことだが、親子となると些細なことにムッとしてしまうものだ。
今回、里帰りはしないので、産後母が来てくれることになっていて、それは本当にありがたいと思っている。
が、流行中のウイルスへの不安もあるらしく、「行くかどうか検討します」と言ったり、「行くつもりで準備してます」と言ったり、、。
まぁ、母も不安で気持ちがゆらぐのも仕方がないのは重々承知。
そんなことがあって、ついこっちもツンッとした気持ちで「無理してこなくていいから、夫も産休とるし、行政のサービスも登録してあるから」なんて言ってしまって。
そんな時、ある言葉を聞いてハッとした。
それが、今回記事のタイトルにさせていただいた、「戦う相手は自分の心」というもの。
人とのやり取りで、感情的になることは誰だってある。
でも、「むかつく~~~なんなのこの人~~~!」って思う相手をどうにかしようとしたって、人は簡単に変えられない。
変えられるのは、自分。
よく聞く言葉、かもしれないが、本当にそうだなと思った。
感情がゆらぐってことは、そこに何か自分の課題があるからなんだ。
ひっかかりポイントに気づいて、乗り越えていかなければならない。
その方法はいろいろあるけれど、私がこれから実践したいと思ったのは、「これがもう最後の言葉になるかもしれない」と思って生きること。
母にムッとして、感情そのままに言葉を返せるのは、親子だからってだけじゃなくて、これからもずっと母がいると思っているからだ。
そりゃ、いつか死ぬのはわかっている。
が、それがまだまだ先だとどこかで思い込んでいるんだ。
でも、もし、明日急にいなくなったとしたら・・。
最後の言葉が、「もう来なくていい」だとしたら、私はすごく後悔するだろう。
だから、これからは、「この言葉が最後になるかもしれない」ってくらいの気持ちで人と関わっていきたいと思う。
とはいえさ、ついね、ふんって怒ったまま発言したり、態度に出したり、そりゃあると思う。
でも、そういう時はその日中に、「今日のあれ、ごめんね」って言いたいな。
では、今日はこのへんで~( 。•ᴗ• )੭⁾⁾