ジャンル映画はキャラクター主導?プロット主導?ストーリーの再現性を劇的に変化させる方法とは
ストーリーはキャラクターとプロットで成り立っている。
映画やドラマのストーリーを創作する上でよく使われている「キャラクター」と「プロット」。この2つの要素からストーリーは成り立っている。
簡単に2つに分けるとキャラクターは登場人物の「性格」、プロットは「出来事」や「環境」となるが、この二つの要素は現実世界での我々(人間)の営みとしてほとんど説明ができる。創作された世界も人間社会もこの2つの要素の組み合わせとバランスで成り立っている。舞台やドラマの中では、観客にキャラクターと同化させる、つまり感情移入させたり、感情移入させずに演出する方法もある。これまで何度も紹介しているが、キャラクターとプロットの定義についてはアリストテレスの「詩学」でも解説しているので、そちらを参考に読んでいただきたいと思う。
主に映画では、この二つの要素のバランスをコントロールするためにあらかじめ”ジャンル”を設定する必要がある。
多くの観客はストーリーを聞いたり見たりする前に無意識に”ジャンル”で選んでいる。なので、ハリウッドではこのジャンルをマーケティングやプロモーションの重要な武器として扱っている。観客に無意識に選んでもらうためには意識的にストーリー開発のジャンルの強化を行っている。
例えば、ジャンルでストーリーを語る場合、
ホラーはキャラクター主導?プロット主導?
どちらに属しているだろう。
コメディーはキャラクター主導?プロット主導?
どちらに属しているだろう?
アクションはキャラクター主導かプロット主導か?
どちらに属しているだろう?
キャラクター主導とは登場人物が主体的に行動することによって展開が進んでいく構成、プロット主導とは出来事が起こり、登場人物たちが出来事に関与したり、反応して展開して進んでいく構成のことだ。新しい作品が生み出されていく中で、ジャンルの組み合わせで新しいジャンルも生み出されている。
ホラー映画にドラマがないかというとそうではない。ヒットしたホラー映画でも『エクソシスト』や『シックス・センス』には登場人物たちが抱えているドラマもある。
ストーリーを語る上で、お客さんはどっちを見ているのだろうか?
キャラクター?
プロット?
例えば映画『トレインスポッティング』は、登場人物たちが走り続けているが、ひたすら走り続けていたらどうだろう。心理学的には「走る」という行為に興味は持つが、ずっとそれを見せられ続けていたら観客は疲れてしまうだろう。
作品によっても違うが、
ホラー映画は人やモンスター(キャクター)が怖い。
リングの「貞子」や呪怨の「伽椰子」はキャラクターとして怖い。
つまり、キャクター主導に重きを置いている。
以前、「ストーリーの普遍性」の有料原稿でもアップしているが、「ホラー」と「スリラー」の違いでも、このバランスをうまくコントロールしている作品は新しいジャンルミックスに挑んでヒットを出している。
バランスをとりながら、プロット型はドラマを入れることもある。アクション映画は、プロット主導で進んでいく場合があるので、ドラマ好きな人には合わないこともある。答えはどちらが正解というわけではないが、どちらに重きを置いているかをクリエイターは理解していなければならないはずだ。
ジャンルを例えるなら”料理”と同じ
「今晩のディナーは和食、洋食どっちにしようかな?」「今日は中華料理の看板に惹かれたから、中華にしよう!」というように、料理はその時のムードやトーンで選んでいる。もちろんイタリア料理ばかり食べていたら続かないだろう。
アリストテレスの「詩学」でも書かれているが、舞台やドラマのシリーズものは「再現性」をどのように技術として作り上げるかが重要なのだ。
ジャンルすらもプロットの要素がある。ヒーローものにもドラマがある。だが、アクションものでドラマを増やすとお客さんは怒る。アクション映画ではスカッとしたいはずだ。しかし、脂っこいものだけでは飽きてしまう。
その場合は人間的なものを見ていけば良い。変えると別物になってしまう。
シリーズの人気が落ちて来た時には、バランスを変えれば良い。
CM業界では有名な逸話がある。
某大手コーヒーメーカーがコマーシャルなどでよく「新しくなりました!」というキャッチコピーを使っているが、最初の段階では高級な原材料を使って商品開発をしているので美味しく感じる。しかし、徐々に味を落としていき、人気が落ち始めた頃に元に戻し、コマーシャルを再び打ち、「新しくなりました!」ということをやっているらしい。ホントかウソか僕も信じがたい驚きの真実?だが、、、、グローバルビジネスで展開している企業にとっては一銭単位でやっているので、少々変わっていてもわからない。
そして、コーヒーを飲んだお客は「新しくなりました!」で喜んでいるのだ。お客さんにはわからない。途中で買う人もわからない。原価コストはたかが知れていることもある。
だけど、寅さんはやらなかった、、、
時代の変化に鈍感だったのだ。言葉が厳しくなるが、これまでヒットした売上を全部、突っ込みながら金太郎飴しか作れなかった。金太郎飴が悪いわけではないが、金太郎飴を作れる技術を使って再現性の技術を有効に使うことができなかった。規模や世界観は違うがマーベルシリーズを見たら一目瞭然ではないだろうか。寅さんがアベンジャーズが正しい悪いの話ではない。
ストーリーの技術は応用範囲が広い。
ビジネスとしても使い勝手が良いはずだ。
残念ながら日本の映画会社のプロデューサーがこの技術を身につけていない。キャラクターとプロットのバランスを変えるだけでいいはずなのに。