運命に翻弄されたP-63キングコブラ〜コブラの系譜その2
第二次世界大戦中の戦闘機、ベル社のP-39エアラコブラとP-63キングコブラ。両者は胴体中央にエンジンを持つ特異な戦闘機でしたが、両者とも数奇な運命を辿ります。今回はこのコブラの名をもつヒコーキの話の続きです。
◆コブラの執念が実る?P-39エアコブラの発展型、P-63キングコブラ
前回では高々度用試作機としては優秀な性能を発揮したにも関わらず、排気タービン機能を外されて、普通以下の戦闘機に成り下がってしまい、酷評の果てにイギリス→ソ連に出されたエアコブラでしたが、実の親であるベル社は黙っていませんでした。
想定外の使い方で遠方の地でいくら評判が良くても、やはり高々度用戦闘機として開発したのですからこのままでは引き下がれません。
P-39をもう一度再設計し、再度高々度用戦闘機として開発を始めます。これがP-63キングコブラです。
キングコブラの初飛行は1942年12月7日。高々度性能を改善するため2段過給器を備えたアリソンエンジンを搭載し、翼の形を当時の最先端の流行りの層流翼に変更しています。
また、機体全体が一回り大きくなったのも特徴的。基本的なスタイルはお兄さんのP-39を踏襲していますが、パーツは全て新規設計となっているので互換性はありません。
話は脱線しますが、日本兵からは「カツオブシ」と言われたフォルム。こうして並べると、カツオブシの雄節と雌節、そのものです(笑) 好きだなぁ、このフォルム。
キングコブラは性能的にはかなり向上し、量産決定は初飛行前の1942年9月には既に下されていたのですが、しかし、ここでもライバルが立ちはだかります。今度のライバルはP-47サンダーボルトと新型エンジン搭載で生まれ変わったP-51Dマスタング。
彼らと比較すると低速で上昇力も劣り、更にP-39の半分以下という著しく短い航続距離が決定打となり、アメリカ国内では一部の練習部隊用だけに残し、残りをまたもやソ連に輸出することに決めてしまいます。
お兄さんに続いて次男も里子に出される運命になったのですが、本国アメリカでは一度も実戦に使われることもなく、実に7割以上の機体がソ連に出されていくことになるのでした。
しかも、ソ連ではその頃には Il-2 などの自前の地上攻撃機が多数生産されており、もうP-39のような地上支援は必要なくなり、迎撃戦闘機として利用されることになります。
お兄さんのような活躍の場もなく、そのまま終戦を迎えることになりました。
◆最後に待ち受けていた過酷な運命〜RP-63
悲劇はこれで終わりではありませんでした。最後に彼を待っていた運命は、なんと味方に撃たれるという標的機としての任務でした。何かにつけてイジメているような気がするのは気のせいでしょうか、不憫すぎるP-63・・・・・。
B-17などに搭乗する旋回銃手の実射演習用になるべくP-63は武装を降ろされ、外板全面をジュラルミンの厚板で貼り直され、機体には衝撃センサーを付けられます。もちろん機体は迷彩色などではなく、ひときわ目立つオレンジ色に。
もちろんいくら厚い板でも通常弾では射貫されてしまうので、鉛と黒鉛粉末を固めた特殊な「砕けやすい」演習用弾丸が開発されました。衝撃センサーにより命中弾を感知すると、スピナ先端のランプ(撤去した機関砲の場所に設置)が点滅する仕掛けです。
新人旋回銃手たちに撃たれまくるRP-63は、味方に撃たれながら、ピコピコとランプを光らせ、銃手たちを育てることになるのです。
本国で唯一使われたこの機種は、なんと300機以上も生産されることになります。
猛毒を持つコブラは、最後はその牙さえも抜かれ、「空飛ぶパチンコ(ピンボール)」とまでに呼ばれるようになるのでした。なんか悲しくなってきました。
しかし、この背景には、白昼爆撃などで米重爆がいかに深刻な被害を蒙ったか、そして銃手の技量向上が、いかに重要かつ困難な課題であったことを物語っていると思います。
特異な形状をもったP-39とP-63。その生産数は合わせて1万機を超え、1万3千機近い数を誇ります。しかし、本国では実戦にはほとんど使われず、大半は遠いソ連の地で活躍することになります。そして最後には、有人標的機としての役割に就くことになりました。
作られた本来の役割を果たせず、図らずして異国の地で活躍したり、別の用途で活躍した兄弟。個人的には、コブラではなく、日本のパイロットたちがつけた「カツオブシ」という名が一番相応しいように思います。
お兄さんのP-39と一回り大きくなった弟のP-63。並べた姿は、カツオブシのまさに雄節と雌節の姿そのもの。
しかしながら、数奇で過酷な運命にその身を削り取られることで、いい味を出したヒコーキだと思うのです。
(余談) ベル社はこの20年後、世界初のタンデム複座スタイルの攻撃ヘリ、AH-1コブラ、AH-1Wスーパーコブラで、大成功をおさめます。20年超しのコブラの執念がついに実った結果になりました。ヘビはやっぱり執念深かった?
<参考文献>佐貫亦男著『続・ヒコーキの心』光人社NF文庫 など
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